干した草のにおいが好きだ。
 あたたかな母の胸にすがりついたときのように、ほっとする。でも、少しだけ苦しくなるのはなぜだろう。
 二度とふれられない遠い人のことを思い出すせいか、それとも、はじめて恋した人の困った顔を思い出すせいか。
 苑上はくすんだ赤い屋根の厩舎に足を踏み入れた。
 鼻面をおしつけようとする馬たちをみて、苑上はほほえんだ。あの冬の夜は、凍えるようだった。それでも、雪降る町にくらべれば厩舎の中は暖かく、干しわらの山をみつけると苑上はいっぺんにほっとして、足を抱えるようにしてそこで眠り込んでしまったのだ。幼い頃に潜り込んで遊んだわらの大山は、大きくなった苑上をかわらずにふわりと受け止めてくれたものだった。
「やっぱり」
 帰りたくないと駄々をこねて、食堂から逃げ出した子は、わらの山のかげで眠っているようだった。苑上はそっと近づくと、五つになった息子の顔をのぞき込んだ。起きているときはやんちゃで手がつけられないというのに、寝顔のあどけなさときたら、まるで天使だ。
 わがままをたしなめられて飛び出したこの子は、涙のあとを赤いほほにつけたまま、すうすう寝ている。父親ゆずりのあかるい髪の色。顔つきは苑上ににていると皆が言うが、意地っ張りの目をするときは、夫そっくりにみえるのだ。しゃがみこんでみつめていると、声がかかった。
「いたか」
 阿高はため息をつくと、苑上をちらりと見た。
「親子で考えることは同じだな」
「そうね。ここは冬でも暖かくて気持ちがいいもの」
 目を細めて、阿高は言った。
「ここでおまえを見たときは、驚いた。泥棒かと思った」
「あんな情けない泥棒はいないわ」
 苑上は唇をとがらせた。
「味方してくれる人なんていないと思っていたの。父の言うままになるしかないって、がっかりしていたのよ」
 何を思い出したのか、哀れむような目で阿高は苑上を眺めた。
「おまえは、悲しんでるだけのやつには見えなかったよ。無茶で、どこまでもお嬢様だった。正直に言うと、いまでも少し迷うときがあるんだ」
 わらの山に腰掛けて、阿高はつぶやいた。
「おまえをおれの住む所に引っ張り込んで、本当によかったのか、悪かったのか」
 苑上は夫のとなりに腰を下ろすと、肩をぶつけた。
「引っ張り込まれた本人が感謝しているのに、まだそんなことを言うの?」
 阿高はむずかしい顔でうなずいた。
「暮らしはなんとかなってるが、まだまだ余裕がないからな」
「ぜいたくをしたいなら、はじめからついてこない」
 苑上はきっぱりと言った。
「わたくしは、誰かを好きになることもないまま、お嫁に行くんだと思ったら、悲しかった。だからね、コートをかけてくれたひとを、好きになることにしたの。阿高じゃなくてもよかったのかもしれない」
 驚いた顔をした阿高は、たちまちふくれた。
「いまさら言うことか?」
「おたがいさまよ、阿高」
 じっとみつめると、阿高は目をそらさなかった。
「まあ、たしかに、くどくどと言うことではないか」
 二人いっしょにわらの上に寝転がると、吐息がかかるほど間近で阿高はささやいた。
「ちびが寝ているうちに、遊ぼう」
 低く押さえた声を聞いただけで、苑上は夫の望みがわかった。
「ふざけないで」
 にらみつけると、阿高は楽しそうに笑った。
「ふざけてない。本気だ」
 なおわるい。苑上は夫の笑顔にほだされそうになるのをこらえて、こわい顔をしてみせた。どこをどう間違ったのか、阿高は吹き出した。
「にらんでもむだだよ。竹芝の男に目を付けられたのが運の尽き、てなものさ」 
 
 
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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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