flower border

眠り姫4

Category薄紅天女 二次
「ご無事で」
 乱れのないスーツ姿を黒いウールのコートに包んだ長身の人は、ほっとしたように言った。化粧をしないせいか青ざめて見える唇はたしかに女性のものだった。鈴を呼ぶ声は低く、押さえるものを感じさせた。
 鈴を見やると、きっとにらみつけているけれど、全くといってよいほど、歯が立つ相手とも思えなかった。本気でかかっていったら、あの人の履いたぴかぴかの革靴に、砂でもかけられるかもしれない。
「お探ししましたよ」
 かすかに笑いながら、その人は一歩近づいた。
「こないで」
(おいおい)
 阿高の背中に隠れた鈴のかわりに、きついまなざしでにらまれてはかなわない。藤太なら美人ににらまれたら喜びそうだが。ふと、いままで藤太のことを忘れていたことを思い出した。へんなやつのことに気を取られていたせいだ。
「藤原さん、あなたなら、わかってくださると思ったのに」
 鈴はちいさな声でつぶやいた。藤原は、すこしだけためらいをみせた。
「お察しします。けれど、それとこれとは、話が別なのです」
 ていねいな口調だったが、どこか冷たい感じがする。
「大変ご迷惑をおかけしました」
 田島に頭を下げるところは殊勝な感じもするが、丁寧すぎて鼻につくのだった。阿高は身をよじって、うしろで縮こまる鈴にささやいた。
「おまえの身内か」
「兄の大事な人なの。父も頼りにしているわ」
 鈴は情けない顔でうなるように言った。寄せた眉があまりに哀れをさそうので、阿高はさきほど感じた怒りを忘れて、うっかり同情しそうになった。
「帰りたくない。ここにいたい」
「あの人はおまえを連れていくのが仕事らしいぞ」
「阿高」
 田島をみると、不憫な子を見るような、心がふさぐまなざしで鈴を見ているので、阿高はなんとなく合点がいった。田島は、鈴と知り合いなのだろう。口をはさまないのは、そうする必要がないからなのだ。
 何か理由があって、鈴は逃げ出してきた。しかし、阿高には関わりのないことだし、身内が迎えにきているというのに、出しゃばることこそおかしい。
 阿高は、鈴の前からどいて、きっぱりと言った。
「帰るんだ。きっと心配してる」
「心配?」
 一瞬、鈴はいらだったように阿高をにらんだが、すぐにうつむいた。
「心配していると、そう思う?」
 なにも言えない阿高を一瞥して、藤原は鈴に歩み寄ると、なだめるように細い肩に手を置いた。
「そうですとも。みなさん、心配なさっています。さあ、帰りましょう」
 しぶしぶうなずいた鈴は、ひかれる馬のように従順に藤原とともに歩き出した。食堂のすすけたドアからその姿が消えてしまうと、阿高はなんだかおもしろくなくて、ため息をはいた。
「阿高!」
 皿を片づけようとしたとき、かすれた声が飛んできた。なにを思ったか引き返してきた鈴は、大声で阿高を呼ぶのだった。
「おまえ」
 必死の顔をしているのが、なぜかおかしくて、阿高は吹き出した。エプロンをとろうとしてひもの部分が髪にひっかかったのを取ってやると、鈴は言いにくいことを放り投げるように言った。
「また、メシをいっしょに食べてくれる?」
 思いもかけない申し出に、阿高は目を丸くした。
「それくらい、いいよな、おっさん」
 田島に目をやると、らしくなくあいまいに笑っている。阿高は軽く息をつくと、大きくうなずいてやった。
「いいよ、こい。そのかわり、ちゃんと家の人に言ってからな」
 まずいことを言ったか、鈴は泣きそうな顔でうなずいた。
「ありがとう。阿高、忘れない」
 大げさだとは思ったが、阿高はうなずいた。
「おれも覚えておくよ」
 鈴は笑った。たわいない言葉でうれしがるのも、阿高にとっては驚きだった。へんなやつのことは、そう簡単にわすれられないという意味だったのだが。駆けだしていった後ろ姿を見ていたら、田島に頭をこづかれた。
「いて」
「ばかたれ」
 田島は朝食の皿を片づけながら、目をいからして阿高を見つめた。
「なんでさ。来させりゃいいだろ。来たいって言うんだから」
「あの子は、高倉のお嬢さんだぞ」
 聞いたことがある。高倉といえば、全国的に有名なゼネコンのことだ。
(本物のお嬢様か)
 あんなのが令嬢だというのなら、阿高は余裕で令息になれそうだ。
「お嬢様がなんだって家出なんか」
 皿を洗いながらつぶやくと、田島はつまらなそうに鼻をならした。
「おまえと同い年ではあるが、婚約がつい先日決まったようだ」
「婚約?」
 この年で婚約するなんて、理解に苦しむ。
「珍しいことでもない。高倉ともなれば」
「ジダイサクゴっていうんだろ、そういうのは」
 阿高はすっきりしない気分だった。
「あんなの、子どもだ。細いし、ちっちゃいし。百年早いよ」
 鈴が聞いたら腹を立てそうだった。
「それに、親の都合じゃないか。道具じゃないぞ、子どもは」
「おまえがかっかすることじゃないだろうに」
 阿高をおかしそうに見やって、田島は言った。
「鈴は、小さい頃よく母子でここへ遊びに来たもんだ。母を亡くしてからは、高倉に引き取られてな。母方の親戚にも会えずに、寂しい思いをしたようだ。久しぶりに訪ねてきて、驚いたよ。見張りをなんとか巻いてきたと、言ったと思うと、くたびれ果てて寝ちまった」
 田島は頭をかいた。
「あの子は藁の山に潜り込んでかくれんぼするのが好きでな」
「なあ、おっさん」
 鈴が置いていったエプロンを眺めながら、阿高はつぶやいた。
「あいつは、ただメシを食っていったよ。今度きたら、しっかり働いてもらわないとな」
「今度があればな」
 阿高はふくれた。
「あるさ。ないほうがおかしい」
関連記事

0 Comments

Post a comment