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眠り姫1

Category薄紅天女 二次
「寒いと思ったら」
 土曜日の午前四時、空はまだ夜の色をしている。街灯が風に巻き上げられる雪を照らし出している。阿高は首に巻いたマフラーに鼻をうめて身震いをした。誰もいない駐車場をぬけるとき、見慣れた年代ものの赤いジープがうっすらと雪をかぶっているのを見て、阿高はため息をはいた。
(おっさんは、また泊まりか)
 正面玄関を素通りして、裏手へ向かう。厩舎のほうにでるにはこっちが近道だ。いつもの道がなぜか遠く感じるのは、となりに藤太がいないせいだ。
(あいつめ)
 二言目にはしまりのない顔でちぐさちぐさとうるさい藤太に、少々阿高は腹を立てていた。今朝も、声をかけずに家を出てきた。初デートだとうかれていたが、せいぜい振られないようにご機嫌を取ればいい。
 阿高は唇をへの字に曲げた。
 馬の世話をしているときは、なにも考えずにすむ。阿高は低い柵をこえ、ゆるやかな坂道をくだった。田島は明かりをつけていてくれたようだ。木のかげにくすんだような赤い屋根が見える。
 かばんを放るようにして柵にかけると、阿高は思わずほほえんだ。幼い頃からなれ親しんだ生き物のにおいはあたたかく体を包んでくれる。
「よしよし、腹が減ったか」
 鼻面をつきだしてくる馬たちに声をかけながら、阿高はコートを脱ぎ、腕まくりをした。
 敷き藁を整え、体を洗ってやる。重労働だが、阿高にとってはお手のものだった。経験というものはありがたいもので、昨日よりも、今日はもっとうまくやれる。小さな工夫をほどこすことはおもしろい。厩舎の仕事はどうやら阿高に合っているようだった。
 少なくとも、藤太につきあって日下部千種の顔を見ているより、千倍はましだ。
「おう、来てたのか」
 栗毛の老いた馬をひいてきた田島が、そっけなく言った。子どものころは手伝いをするたびにへまをして、藤太と一緒に厳しくしかられていたが、今では田島が何か言わなくてもするべきことがわかる。
「阿の字、たのむ」
 わらを取りに行ったところで、阿高は立ち尽くしてしまった。積まれたわらの上に、誰かが寝ている。泥棒か、いや、ここには馬の糞くらいしか落ちてない。
 寝顔をのぞき込んで、阿高はうなった。ちいさな顔。赤ん坊のようなすこやかな寝顔だ。
「おっさん、ちょっと」
 阿高は馬の体を拭いている田島に声をかけた。
「変なのがいるぞ。孫か?」
 顔をのぞかせた田島は、腕組みをした。
「何やら、わけありでな。一晩かくまってくれと」
(かくまう?)
 ため息がでた。 
「わけありもいいとこじゃないか。知り合いでもないんだろ。首をつっこまないほうがいいよ」
 声を潜めて、阿高は続けた。
「家出でもしてきたのかもしれない」
 大き目のジャンパーの下は、ジャージだ。しかも、履いているものが上履きときている。学校を飛び出してきたような格好だ。田島は何を考えているのだろう。大切な馬たちのいる厩舎に、馬を知らない人間が入ることをひどくいやがるくせに、飼い葉のうえで寝息を立てるあやしい奴を放っておくというのだ。
 馬房は外よりあたたかいとはいえ、人が寝るには寒い。顔をのぞきこんだとき、引き結んだ唇が青ざめているのが見えた。ここで凍死されてはかなわない。
 阿高は脱いだコートを肩にかけてやった。そうすると、小さな体は、すっぽりとかくれてしまう。阿高はそれほど背が高いほうでもないが、これと比べれば、ずいぶんたくましく見えるだろう。
 田島はにやっと笑った。
「阿の字、これでおまえも関係者だな」
 すこしとがった声で、阿高はつぶやいた。
「朝飯に、ハムを二枚おまけしてくれるんなら、考えるよ」
「よし、商談成立だな」
 雪はいつしかやんだ。水を汲むため外に出ると、はく息の白さのむこうに、ひとつだけ輝く星がまたたいて見えて、阿高はほほえんだ。 
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