祝言の日まで8

2011.03.03.Thu.09:02





 朝から雪が降っていた。まだまだ春は遠いようだ。
 毛皮を着込み灰色の空を見上げていた狭也は、飛び来る烏を西の方に見つけて身を乗り出した。
「狭也、大変だ」
 鳥彦を肩に乗せ、狭也は開都王のもとへ向かった。主立った人々は皆集まっているはずだ。裳裾を持ち、半分駆けるようにして室に入ると、開都王は待ちかねたように膝を打った。
「どうだ、動きはあったか」
 狭也の肩から降り、鳥彦は早口で言った。
「葛木の館はめちゃくちゃだ」
 その口調は、どこか憤りがこもっていた。
「山城王とも並んで、戦の時はおれたちを苦しめた相手だって言うのに」
 長の葛木王は輝の御子が天に返ってしまってから、気の抜けたようになって館にこもっていた。それがここ何日か、飯一つ口にしないという。
「稚羽矢が大王となることをおおやけにされてからだ」
「そういえば、稚羽矢は今頃・・・・・・」
 鳥彦はちらりと狭也を見た。科戸王ですら痛々しいものを見るように狭也を眺めていたので、狭也は情けなくなった。気を使わせてしまっている。
 稚羽矢がいま多くの娘たちの前に立っているかと思うと、面白いわけがなかったが、今はそれどころではない。
 狭也は頭から振り払おうとしいて明るく言った。
「いいのです。あたしのことは」
 鳥彦はうなずくと、続けた。
「葛木王は館の者たちにも会わないらしいよ。へたすりゃ、死んでしまうくらい憔悴してるようだ」 
「稚羽矢もれっきとした輝の御子だわ。なのに、なぜ認めないのかしら」
「照日王に身も心をささげていたのだ」
 静かに開都王は言った。
「殉じようとしているのかもしれぬ。照日王のほかに忠誠を持てぬのだろう」
 狭也は山城王の言葉を思い出していた。若変のおこぼれにあずかれないと知ると、自ら命を絶った者もあると。祓いで若さを保ちながら、美しく陰りのない完璧な輝の御子に仕えていた日々は終わった。変化が大きすぎて、心がついてこないのかもしれなかった。
 狭也はひととき目を閉じた。
(葛木王を放っておくことはできない。歓迎されなくても)
「あたしが行きます」
 何かできることがあるかもしれない。そう思いたかった。動いたところで何も変わらなくても、じっとしているよりはずっといい。
「無謀だ」
 言い切ったのは科戸王だった。腕組みをし、唇を引き結んでいる。
「照日がなぜ葛木を重用したかわかるか」
「力のある豪族だったからですか」
 科戸王はいつになく暗い目をしていた。それは見覚えのあるものだった。
 彼は故郷を輝の軍に焼かれ、親を失った。境遇は同じはずだと、そう言ったときの表情と同じなのだ。
「葛木は輝の御子の命にもっとも忠実に応え、抵抗をやめた者さえ焼き付くした。働きはめざましく、ゆえに照日の腹心となった男なのだ」
「だからといって、無視はできません」
 これは縮図なのだと狭也は思った。剣をおさめたところで、互いへの怒りや憎しみも捨てられるわけではない。一瞬、輝と闇が手を取り合うことなど不可能なのではないかという考えがよぎった。長い戦いの年月の間に芽生え育った憎しみと不信を溶かすには、途方もない時間がいるのだろう。
「今、彼らは敵ではないのです」
 狭也は心を込めて皆を見回した。
「もちろん、心底から仲間と呼ぶことはできないかもしれません。流された血はあまりに多くて、悲しみは底がないから。でも、わかりあう努力さえ投げ出したら、あたしたちに豊葦原を託してくださった方々に、顔向けできません」
 狭也が一礼をするなり立ち上がると、鳥彦が羽を広げた。
「おれも狭也と一緒に行くよ」
 開都王は組んだ腕をといた。
「闇の男衆が行けばむやみに事を大きくするかもしれぬ。適任だな」
「おれもれっきとした男衆なんだけど」
 狭也の肩に乗ると、鳥彦は小さな声でささやいた。
「しかし万が一、狭也が危険な目に合ったらどうする。供が鳥彦だけとは少々心細い」
「鳥彦王をなめないでよね。人の身ではできないこともおれには簡単さ。まあ見ていてよ。狭也はおれが守るんだから」



「科戸王は目を丸くしていたわ」
 室にもどると、狭也は支度をはじめた。つづらを引き出して袴と上衣を出した。これは野駆けをするためのものではなく、特別な装束だった。まっさらな白い衣と袴を身につけるのは、邪を寄せ付けない。それと同時に着る者も清める。心に二物がないことをあきらかにするものだった。
「どんな考えがあるというの?」
 狭也は皆の怪訝そうな表情を思い出して、おかしくなった。
 着替えるために入った衝立のかげで、狭也は吹き出した。
「あ、笑った」
 羽音がして、衝立のへりに烏が止まったので、狭也はあわてて声を上げた。
「いやだ、のぞかないで」
 脱いだ衣裳をぶつけるように投げつけると、あえなく鳥彦は床に落ちた。
「ひどいや」
 狭也は袴とともにまっさらに白い上衣をまとい、結い上げていた髪をほどいて櫛けずり、角髪に結いなおした。そうして衝立から出たが、狭也の衣裳で団子のようになった鳥彦は顔も出さず、どうやらすねてしまったようだった。
「鳥彦、あたしはうれしかったのよ。守ると言ってくれたとき」
 狭也はかがみこんで言った。
「心細いときそばにいてくれるんだもの。いつだって」
「いつもは無理さ。こんなときでも活躍しないと、狭也に忘れられる」
「ばかね。さあ、そこから出てきて」
「いやだ」
「頼りにしているわ。忘れることなんてありえない。あなたにどんなに救われたか。ねえ、鳥彦王?」
「くすぐったいな」
 もぞもぞと顔を出した鳥彦は、狭也の姿を見てくちばしをかちかち鳴らした。
「狭也、男装なんかして」
「山城王に言われたことを思い出したの。あたしは輝の宝と巫女を連れ去り、宮を破壊したと」
 大蛇の剣を抱き、その放つ光に照らされて狂女のような有様だったという。
「輝につかえてきた人たちにとって、あたしは得体の知れない存在なのだわ」
 闇の巫女だというのに采女にまでなって、そのうえ敵として戦った。全く信用されていない。
「そんな娘の言うことなど、信じないでしょう。でも、誓約には輝も闇もない」
 長い緒に勾玉をたくさん連ねた首飾りを身につけながら狭也は言った。
「誓約をするって?」
 鳥彦はとがめるように羽を広げた。
「そんな格好をして、ふざけているって思われるよ」
「闇の巫女姫はなんだってするのよ」
 狭也は笑った。
「のんびりとした衣裳姿で訪ねていっても面白くないもの。さあ、太刀と弓筒も探さなくては」
「狭也って時々わからない」
 鳥彦は頭を振った。



 輝の御子が天の宮に戻ったのはあまりに急のことで、残された人々の混乱も道理だった。稚羽矢にすがろうとするのは無理からぬ話で、それをとがめるつもりもないが、と科戸王は苦々しく思った。
 先ほど鳥彦を肩に乗せ、出ていった狭也の姿をまた思い返している。角髪を結い、白い衣袴をきちんと着込んだ姿はふしぎと似合っており、あたりをはらう清浄さがあった。
(何ができるか、そう考える前に。そなたはそうして出ていくか)
 仕える者をなくした人間に、かつて敵だった者が何を言えるだろう。たとえ何も言葉が出てこなかったとしても、狭也はそこへ立とうとする。誰でもない、稚羽矢のために。
 后選びなど、ただの芝居だ。
 少なくとも科戸王はそう思っている。輝の者を納得させるために一席もうけたとしても、そもそもふつうの娘が稚羽矢と狭也の間に入れるとも思えなかった。
 興味のないものが視界に入らないという、まことに神さびた稚羽矢の性質はずいぶん変わってきたようではあるが。
(さて稚羽矢はどうしているか)
 恋敵を案じていることに、科戸王は思わず苦笑していた。


 
「申し訳ありません、大王」
 狭い廊下でぶつかった娘は、稚羽矢に気づくと震えるか細い声でそう言った。平伏した娘を立たせると、稚羽矢はたずねた。
「何を急いでいた?」
「大王にお目通りするために広間に参るところでございました」
「広間か。一緒にいこう」
 身を小さくして、ふるえながらうなずいた娘とともに、稚羽矢は広間へ向かった。
 今日は雪が降っている。
(夜まで続くだろうか)
 溶けかけた雪がまた積もってしまう。困る者もいるだろう。三輪山へも足を運ぶのが遅れてしまう。
 廊下を右に折れると、稚羽矢は人のざわめきを聞いた。いつもと違うのは、女たちの声がするということだ。大勢の娘たちが広間に座していた。稚羽矢の姿を認めると、皆こうべを垂れ、いっせいに口を閉ざした。
「顔をあげて。わたしは稚羽矢だ」
 先んじて顔を上げたのは、一番前に座していた赤い染衣の娘だった。
「おそれながら、御身を知らぬ者はおりません。身の程をわきまえぬ無礼者はいるようですが」
 化粧をほどこしたつり上がった目が、稚羽矢の近くでうつむいた娘を睨みつけていた。
彼女は着飾った娘たちに囲まれて、袖で顔を覆ったまま動けないようだった。その様は蛇ににらまれたちいさなネズミのようだ。
「あなたのいうのは誰のことだろう?」
 問われた娘は、一瞬、ひどく驚いた顔をしたあと、衣と同じくらい顔を赤くして目を伏せた。
「山城王が一の姫、おそれながら申し上げます。御身のおそばで動けぬ里娘のことでございますわ」
 稚羽矢はほほえんだ。
「この人とは廊下で会ったのだ。あなたの言う無礼なことはなにもない」
 赤い衣の袖をもみ絞るようにして、娘は平伏した。呆気にとられたような皆の顔を見渡して、稚羽矢は静かに言った。
「ところで、あなたがたのなかで、輝の宮に勤めていた者はどれだけいるのだろう?」
 誇らしげに顔を上げる者たちを、稚羽矢はひとりづつみつめた。
「皆はわたしを大王と呼ぶ。しかし、わたしはまだ大王としてなにかをなしたというわけでもない。尽くされる礼の価値もない」
 誰も目を合わせる者がないことに稚羽矢は気づいた。狭也のように恥じらってそらすのではない。一瞬たりとも、目線が合わない。
 整えられた御座に腰を下ろすと、稚羽矢は右手に見える庭を眺めた。雪が植え込みに降りかかっている。やむ気配はない。
 神殿で夢を見ていたとき、稚羽矢は戒められていたと同時に守られてもいたのだ。今となってはそう確信している。
 輝の宮を飛び出したあとは、狭也がいた。狭也に守られていた。失いかけてはじめて気づいたのは、我が身を捨ててでも救いたいというただ一途な思いだ。
(何かを、誰かを守りたいと、そう思える)
 もし人が稚羽矢を大王と呼ぶのなら、夢をみていたときよりも、やり直しのきかない現のまえに引き出された今ならば、もしかして何かをなせるのかもしれない。そんな思いも芽生え始めていた。
 狭也がそばにいてくれれば、きっと大丈夫だ。まっすぐに見つめてくる彼女の瞳を思い出そうと、すこしだけ目を閉じた。
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