麗し女を、ありと聞こさば5

2011.12.01.Thu.16:13
 天は広く、あまりに茫漠としている。いきるもののない冷たい虚空に、身じろぎをするたび、いくつかの星が流れる。そうして天の宮で硝子の杯に酒をそそいでいるとき、かすかな呼び声が地上から届いたのだった。
 まどろむように脇息に身をあずけていた姉王は、問うようにものういまなざしを弟に振り向けた。
「どうした、月代」
 答えずに耳を澄ますと、たしかに細くかすかに声がする。気のせいではないようだ。
「どうしたことでしょう。稚羽矢が呼んでいるようです」
「ありえん」
 照日王はあくびをした。
「あの子はもう我らとは別の道を行ったのだ。引き返してくると思うか?」
「さあ。もしや、戦でも起こったのでは」
「つまらん。さっぱりおもしろくない」
 からの杯を台におき、月代王は酒をなみなみと注いだ。
「狭也も呼ぶものですから、気にかかります」
「そなたも、まったくあきらめの悪い男だ」
 照日王はため息をはいた。そうは言っても、好奇心は隠せない様子で身を乗り出してくるのもおかしい。
「杯では小さい。池にいこう」
 照日王は立ち上がり、弟をまねいた。やわらかな敷物に何も身につけずに足を投げ出していたはずなのに、立ち上がった姉王はすでに匂うような衣裳姿であり、いくらかいらだったように眺めおろしてきた。
「はやく、見にゆこう」
 鏡の池は澄んで美しい。星空が映りこんで、漆黒の中にきらめいている。照日王はかがみこんで、手を水面に差し入れた。波紋がさあっと広がり、再び平らかになったときには、遠くも懐かしい地上を映し出していた。
(懐かしい、か)
 池いっぱいに稚羽矢の顔が映し出されて、すぐに消えた。続いて狭也がのぞき込み、顔を赤らめた。
「稚羽矢ったら。御方がいらっしゃるなら、そう言ってくれないと」
「わたしだって驚いた。ずっと呼び続けるつもりだったんだ」
 稚羽矢があらわれて、頭をさげた。髪を解き、紅を唇にほどこしたさまをみて、照日王はあきれたように言った。
「わが弟は、妹になったか。地上での変化はまことにめまぐるしいな」
「こちらはまだ冬です。それほど時はたっていません。今夜は、天の宮の方々に、お見せしたいものがあってお呼びしました」
 稚羽矢の思いつくことは、本当にわからない。
「おかしなやつだ。何をしようというのだ」
 少しは心を動かされた風の照日王は、稚羽矢をみつめた。
「まほろばで、今宵いちばん美しい花を決めていただきたいのです。わたしたちは、どうも選べないようなので」
 月代王はうなるように言った。
「花など咲くまい。冬のさなかに」
「ご覧に入れます」
「稚羽矢、やっぱりやめましょう。きっとお怒りになられるわ」
 狭也の押し殺した声が聞こえた。思わず二人で顔を見合わせると、姉王はにやっと笑った。
「よい、見せてみよ。そのかわり、くだらぬものなら承知せんぞ」
 稚羽矢はほほえんだ。彼が下がったあとには、御所の内庭らしき場所が映し出された。篝火に照らされた舞台に、色とりどりの衣装を身にまとった娘たちがあらわれて、なかなかに巧みな舞をみせた。
 篝火のはぜおどるさまと、舞うたびに揺れる鮮やかな裳すそは、春の夜風に吹かれる花と見えないこともなかった。
 太鼓が打ち鳴らされた。
 扇で顔を隠した新たな舞姫たちが庭に現れたが、どうも様子がおかしい。
 すぐ隣でまばたきもせずに池をみつめていた照日王は、目をいっぱいに開いて、つぶやいた。
「あれ、まあ」
 顔を白くぬりたくり、紅をはいたのは、なんと男たちだ。月代王はふいをうたれて、思わず吹き出した。角髪を解いて髪を結い上げたはいいが、太い首やいかつい顔にはまったく似合わず、こっけいもいいところだ。上背のある者はとくに、裳からすねが見えている。衣裳があわれに思えるほどだった。
 古式にのっとった春を招く踊りを、ごくまじめに舞うその姿を、見たら最後、胸がすくわけでも魅かれるわけでもないのに、どういうことか目を離せないのだ。
 舞姫のなかにかつての腹心の姿を見いだしたとき、月代王は姉の肩によりかかり、なんとか息をするのだけで精一杯だった。
「姉上、もうこれ以上、ご覧になってはいけません。お体にさわるやもしれない」
「なかなか愉快なことをする。あれに見えるは、山城ではないか。稚羽矢が説得したのだとしたら、なかなかだ。やあ、よくもあやつが承知したな。信じられん」
「笑い事ではありません。稚羽矢はなにをしようというのです。政はどうしたのです」
 照日王はほほえんだ。
「政であろうさ。これとてな」
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