闇の重鎮たちはかつての宮の一室で、車座になって膝をつきあわせていた。
「山城王の押しの強さは目に余る、こちらも手だてを考えなくては」
「祝言を早めるのはどうだ」
「いや、彼らを無視するわけにもいくまい」
「照日方に仕えていた葛木の王が全く顔を見せないのも気になる」
「偵察によると、葛木王の館は静まり返っていて、主の姿は日にいっぺんだって外に現れないそうだ。引きこもってるのさ」
「三輪山の様子はどうだ。鏡をみつけるのは難儀なことだが、手だてはあるはずだ」
 話し合いが進んでいないのは、皆の声の調子でわかる。ふと戦場での会議が思い出されて、狭也は身の引き締まるような思いがした。
 血を流す戦いは終わった。しかし、戦が終わったわけではないということは、今さっき思い知らされたのだ。狭也は稚羽矢のそばに座り、彼の案じるようなまなざしを受けると、言ってもせんないことをわめき散らしてしまいそうで、唇を噛んだ。
 新しい大王として稚羽矢は求められた。しかし、狭也ははっきりと拒まれたのだ。
「どうした、狭也。顔色が悪い」
 狭也は稚羽矢をみつめた。どうしても今言っておかねばならないことがある。
「山城王に会いました」
 気色ばむ者もいたが、それを科戸王が制した。
「あたしが稚羽矢のそばにいることを望まないと、わざわざ言いにきてくださったのです」
 稚羽矢はきょとんとして言った。
「狭也はわたしのそばにいる。狭也がどこか遠くへ行くのなら、わたしも共に行こう。なぜ山城王はそんなことを言うのだ」
 狭也は悪意をこめてしまわないように、できるだけ注意をすることにした。彼が山城王を疎んでも問題は解決しない。とはいえ、平静でいるのもかなり難しいことであった。
「あなたの后にと、強くすすめたい姫君がいるからよ。あたしが隣にいては不都合なの」
 言うだけで胸がちりちりと焼かれるようだ。
「后か」
 稚羽矢はふしぎそうに首を傾げた。狭也の手に手を重ねて、ゆっくりとつぶやいた。
「わたしの后はあなたではないのか」
「稚羽矢」
 一瞬のうれしさはすぐにしぼんだ。 
「皆もそう言っている」
 座している者は皆、ため息を吐いた。狭也は萎えそうになる心を奮い立たせた。ここで怒ってはいけない。
 わたしの后は狭也だ。そう言い切れる人でないのはわかっている。稚羽矢にとって、人を恋うこともその意味もあまりに混沌としていて、つかみ切れていないのだ。
 時間をかけて気づくかどうかも怪しかった。そして待っている暇はないのだ。
 狭也は稚羽矢の手をどけて、背筋を正して彼に向き合った。
「あたしは、稚羽矢の后にはなりません」
「狭也」
 叫んだのは鳥彦だった。あまりに驚いたのか烏の声で鳴いたため、皆は驚いて飛び上がらんばかりになった。
「どういうことだ? 臆したのか」
 科戸王がにらむように凝視してきた。
(あら、妻問いの宝を思い出せといったくせに、怒らなくてもいいのに)
 稚羽矢はと言えば、目をみはって口をぽかんと開けたまま物もいえない様子だった。彼も驚くことがあるのだ。
「狭也」
 ようやくそう言った稚羽矢の声は、小さくて聞き取りにくかった。
「あなたがただの男の人だったら、あたしは何も思い煩うことなくあなたの妻になれる」
 口をふさぐか、自分の舌をもぎとってしまいたいくらいだった。でも、言わねば稚羽矢は気づかない。
「でも、あなたは大王よ。他の者がすすめるからという理由で后を決めてはいけないわ」
「狭也、それは違う」
 開都王は厳しく言った。
「輝と闇が並び立つことは必要なことなのだ」
「ええ、それは承知のうえです」
 狭也は両のこぶしを膝の上できつく握った。
「稚羽矢が本当の意味で選ばなくては意味がないのです。必要だから、誰かがすすめるからではなく、稚羽矢が心底から求める答えを出さなくては。」
 狭也は稚羽矢を見つめた。
「水に流すのは闇のさがだわ。でも、流されては国の礎はあやうくなるかもしれない。
 あなた自身が決めなければ、いずれどこからかゆがみは出てくると思う」
 しばしの静けさがあった。稚羽矢は考え込むように目を伏せていたが、顔をあげたときには、ふしぎとさっぱりとしたよい表情をしていた。
「わかった。そうすることにしよう」
 押し黙ってことの成り行きを見守っていた開都王は、ざわめく皆を手を挙げて制した。その顔は何か物言いたげではあったが、反論はしなかった。
「稚羽矢が選べば、この問題は解決する。本当に望む者を后にすれば、禍根は残さぬだろう」
「狭也はそれでいいの」
 鳥彦のほうをあえて見ず、狭也はうなずいた。



 二人きりの部屋に入るなり、稚羽矢は毛皮のしとねに身を横たえ、狭也をまねいた。
「おいで」
 角髪を解いてのびのびとした様子に狭也は気安く応じそうになったが、あえて厳しい顔で彼をみつめた。
「あなたはあたしの話を聞いていたはずよ」
 稚羽矢はうなずいた。
「狭也はわたしの后にはならないと言った」
 稚羽矢はときに狭也をぎくりとさせる低い声で物を言うときがある。
「でも、わたしは嫌われてはいないようだ」
 背を向けようとした狭也は腕をとられて、
あまりにあっさりと彼の腕のなかにおさまった。
「ただの稚羽矢なら、狭也は思い煩うことなくわたしの妻になるのだろう」
 腹に回された腕は、ちょっと押したくらいではびくともしない。背中に感じるあたたかさに溶け入ってしまいそうだった。首筋を息がかすめる。 
「わたしはよく思う。大王の座なんて返せるものなら返したい。雪野を駆けようとすると止められる。そこらをただ歩くのも誰かがついてくる。一時も黙らずあれこれとしゃべり続ける。まつりごととはこのように決めることがたくさんあるのかと思うほどだ。しかもわたしはそのほとんどを理解できない」
 稚羽矢はため息を吐いた。
「狭也の声だけを聞いていたい」
 ふと、輝の神殿に戒められていたかつての稚羽矢の姿が思い出された。彼は夢を見続けていた。それを醒ましたのは狭也だ。狭也の声だけを聞いていたいという言葉は、耳にひどく心地よかった。
(この人と二人きりで閉じこもることはできないのだわ。それではあたしが彼の戒めになってしまう) 
「多くの声を聞かなくては。そして、あなたがよいと思う道を選ぶのよ」
 半身を起こした稚羽矢は、鼻と鼻が触れ合うほど顔を近づけてささやいた。
「そうしようとつとめている。狭也の言うこともわかっているよ」
 まぶたに唇を感じて、狭也はおおいにあわてた。
「昼は多くの声を聞く。だから、夜は静かなのがいい。あなたの声だけが聞こえるように、星がなくのも風が吹く音も消え去ればいい」
 声をあげようとした唇を、稚羽矢はやさしくふさいだ。
 思わず目を閉じて受け入れると、彼はちいさく笑ったようだった。
「何がおかしいの」
「わたしは知らないことが多すぎる」
「教えてもらえばいいことよ」
 稚羽矢は問うように狭也をみつめた。
 そのまなざしには、狭也をとまどわせるたぐいの穏やかではない熱がこもっている。
「人はどのようにまぐわうのだろう」
 言葉をなくして、狭也は目を大きく見開いた。稚羽矢もやむにやまれぬ思いをすることがあるかもしれないということを、今までふしぎと考えもしなかった。彼は祝言の意味も知らなかったし、そうしたことに興味があるようにもみえなかった。
「狭也はわたしよりずっと物知りだ」
 逃げ出そうと身をよじったが、両腕に籠められて動けない。見下ろしてくる瞳は、面白がっているわけでも、せっぱつまっているわけでもなく、ただまっすぐなのだった。
「知っているけど、わからないのはあなたと同じよ」
 正直に狭也は言った。彼のこのまっすぐなまなざしの先に、誰か他の人が映るかもしれないと、そう思うだけで苦しい。いますぐ夫婦になって、稚羽矢のそばに寄り添い立ちたい。豊葦原じゅうをさがしても、稚羽矢のことを狭也よりよく知っている者はいないはずだ。
(それは、あたしが稚羽矢を知りたいと望んでいるから)
 彼の瞳に映っている今このときは得難いものだ。狭也のまなじりから、涙がひとすじこぼれた。稚羽矢は涙を唇で吸い取った。
「また狭也を泣かせた。わたしには、まだ人の心というものがよくわからない。それが悔しい」
 彼の言葉はひどくうれしいものだった。
「あなたは信じないかもしれないけれど、きっと、もうわかりはじめているのよ」
 狭也は稚羽矢を抱きしめた。身を寄せているうちに、寝息が聞こえはじめた。眉間にきざまれたしわを見ると、稚羽矢がいかに慣れない仕事に苦労しているかがわかる。
(稚羽矢にだけ選べとは言えない)
 狭也にしかできないことがある。
 大王の隣に立つにふさわしいと認めさせるためには、いっさいの泣き言を封じる必要があった。
(あたしもあなたを選ぶために、するべきことをするわ)
 変わらなければならない。今が覚悟をきめるときだった。
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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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