祝言の日まで6

2011.03.02.Wed.08:17



 狭也がまほろばに戻ったのはその日の夕暮れのことだった。
 仮住みの館が日に日に大きくなっていく様を見ると、胸にあたたかなものが広がっていく。この館は輝も闇もなく人々が力を合わせて作り上げているものだ。大王のもとに人々がつどい、豊葦原を新たにつくりあげていく。障害はいくつもあるだろう。避けては通れないものだが、ともに手を取り合って乗り越えていけるはずだ。
(三輪山の神を自由にするのは難しいと聞いていたけど、本当ね。何か手だてを考えなくては)
 狭也がたずねたのはまほろばの中心から人の足で半日はかかる女山だった。遠くから見るとなだらかな稜線のやさしげな姿だが、一歩足を踏み入れると、どこからともなく霧が立ちこめ進む道もわからなくなる。それは鏡を守るために輝の御子がこらした守りだった。守りを破らなければ鏡のありかはわからない。
(稚羽矢なら霧をはらすことができるかもしれない)
 袴のまま狭也はまよわずに歩きだした。いま二人はかつての宮の一隅を整えて住みなしていた。夕刻は人の気配もない。
 からっぽの室をいくつも過ぎて、角を曲がったとき、灯籠が投げかける影が伸びてきて狭也をはっとさせた。
「これはこれは」
 立っていたのは狭也も知る者だった。月代王にごく近く仕えていた彼の名は日に一度は聞く。山城一族の王とこうして面と向かうのは初めてだ。狭也はまっすぐに壮年の男をみつめた。
「山城王ですね。わたくしは」
「浅黄の君」
 にこやかだが、狭也を見る目はとても冷ややかだった。月代方の采女だったときのことを知っているのだ。知らない者の方が少ないにちがいない。
 何しろ、月代王が連れ帰った娘は豪族の姫ではなく、ただの村娘だったのだから。
「闇の巫女姫とお呼びした方がよろしいですかな」
 狭也は背筋を正して、顔を上げた。
「山城王、将軍としてのご活躍存じております。わたくしは狭也。闇の巫女とでも、土蜘蛛の娘とでも、すきなようにお呼びください。どちらもわたくしをおとしめるものではありません」
 鼻で笑うようにして山城王は言った。
「堂々としたものだ。わたしはあなたを二度見ている。月代王にともなわれて宮にやってきたときと、出ていくときだ。最初、あなたは哀れなくらい青ざめてふるえていた。御子にすがらなければすぐに儚くなってしまいそうなほど」
 目を細めて、彼は続けた。
「次は輝の御宝を奪い、巫女を連れて行ったときだ。完ぺきで清浄な宮を破壊し、歪めて。あのときからすべてが狂いだした」
「わたくしを憎いとお思いですか」
 狭也はまっすぐに山城王をみつめた。
 彼のまなざしにあるものは、闇を厭う気持ちだけではないように思われたのだ。
「今ここで、あなたを消しされたらと思わないわけではない。わたしをいくつだとお思いか」
 どう見ても四十をいくつか越えているとしか思えないが、山城の長はなんと七十を軽く通り過ぎているという。
「若変のおこぼれにあずかることはもうできない。絶望して自ら命を絶った者もある。老いと死をこれから受け入れねばならないのだ。闇の一族にとっては慣れ親しんだものだろうが」
「死に慣れるということはありません。私たちの生は一度きりです。一つとして同じものはない」
「・・・・・・・まほろばであなたを最も憎んでいるのはわたしだろう。その細い首を折ることはわたしにとってそう難しいことではない」
 一歩間合いをつめられても、ふしぎと恐ろしいと思わなかった。殺気めいたものが感じられないせいなのかもしれない。
「しかしそうすれば、大王は我らをお許しにはならない」
「彼が許せばわたくしを亡き者にしますか」
 彼はうなずかなかった。
「大王が決してそばから離さぬからこそ、われらはあなたが目障りなのです」
 狭也は手のひらを握った。汗がにじんでいる。
「大王があなたと結ぶことはありえない」
「輝と闇が並び立つことは、国生みをなさった父神母神の思し召しなのですよ」
「あなたはあの日、大王の隣に立てなかったではないか」
 狭也は痛いところを突かれて唇を結んだ。確かに、あの日、盛装をした稚羽矢の美しさと優れた輝の御子の資質を目の当たりにして、狭也はおそれた。ただの娘である我が身を振り返ると、彼の隣にどうしても立てなかった。しかし、今は違う。狭也は狭也として、稚羽矢のそばにいること。それを心から望むということは、多くの困難に立ち向かっていくということだ。
 山城王は黙り込んだ狭也に重ねて言った。
「あのお方は近いうちに后を娶られる。新しい国の大王に最もふさわしい乙女を」
 彼の面には憎しみも憤りもなにも見いだせなかった。穏やかな笑みさえたたえている。それは山城王の仮面なのだと狭也はさとった。一瞬、彼は仮面をとって狭也に本意を話した。小娘をひとつ脅してやろうと考えたのか。それとも。
 立ち去る背中は自信にあふれ、ひとたび戦場にでれば腰に帯びた太刀で邪魔な敵を打ち倒すのだろう。

「じつに丁寧な宣戦布告だな」
 すぐそばの柱の影から、科戸王があらわれた。
「いつからそこにいたのです」
 息を吐き出したとき、あまりにほっとしたのか鼻の奥がつんと痛くなった。
「最初からだ。あの山城の将軍が用もなくこちらへ来ることなどないからな。鳥目の奴は暗くなるとすぐに羽をたたんでしまう」
 科戸王は立腹したように足を踏みならした。
「侍女が必要だな。稚羽矢も政を為すために朝から晩まで御座を離れられぬ。そなたを今のように一人にしてしまえば、危険だということがよくわかった」
「あたしは大丈夫です」
「大丈夫だと? あの男はそなたを脅したのだぞ」
 思い切ったように科戸王は狭也に近づき、困りきったように唇をゆがめた。
「生死をこえて結ばれた仲の者を、引き離せるとは思えん。氏族も、幾多の難も越えてきたのだろう。今さら、娘の百や二百でしりごみしてどうなる」
 狭也は深く息を吸い込み、顔を上げた。たしかに言うとおりだった。何を仕掛けてこようと、自分の信じることを思い、行えばいいのだ。
 うなずいた狭也をみて、ほっとしたように科戸王は肩を揺らした。
「どうにもならなくなったら、わたしの贈った妻問いの宝のことを思いだしてくれ」
 冗談を言う人だったかと驚いて見返せば、科戸王は顔をそらしてしまい表情はもうよくは見えなかった。
「相談することは山とある。稚羽矢のもとへ送ろう」 
関連記事
コメント

管理者のみに表示