恋知らず2

2011.11.22.Tue.11:22
 阿高は荒海の中に放られたかのように、四肢の自由をなくして嵐にもまれていた。そこはどこともわからない場所で、人の入り込めるところでもないらしいと言うことだけはわかる。
 何かを押し返そうとしている。巨大な力だ。恐ろしくはなかった。ぶつかってはいるが、おおもとは一つなのだとわかったせいかもしれなかった。
 この世のはじまり、天地が分かれた上代のころ。気の遠くなるほどの昔にうまれた酷く強大な怨霊は、ときに眠り、ときにまどろみうなり声をあげて、それでも母の腕に抱かれることを望んで生き続けてきた。
(あわれだ)
 母をこう気持ちなら、わかる。

 生まれながらに父にうとまれ、憎まれ、斬り捨てられたこの恨み。
 幾代を経ても薄らぐことのない孤独。

(そうか、おまえは、さびしかったのか)
 倒すべきものではないと、阿高は気づいた。手を伸ばし、のたうつものを抱きしめた。雷に焼かれようと、かまわなかった。
(もういい。もう)
 怨霊のすさまじいまでの恨みと怒り、孤独が阿高を食らいつくそうとした。凍えるような冷たさが息をすることすら難しくした。
 だが、阿高の胸の奥に残ったひどく小さい、けれど温かなぬくもりが、死出の道へ踏み出すことをとどまらせたのだった。
「阿高」
 呼ぶのは、女の声だった。
「阿高!」
 ぬくもりは、頬に落ちた涙だ。自分のために、身をふりしぼるようにして泣いてくれた人。物の怪になってしまうのだったと、そんな突拍子のないことを言って、阿高をひどく戸惑わせた。
(鈴・・・・・・おまえか)
 この世に阿高をつないだのは、鈴だった。
(おまえなのか)
 負けを認めたときのような、きまり悪さに身じろぎをしたくなるような変な気分だ。
 阿高にとっては、あまりになじみのない感情だった。

 手を伸ばし、腕に抱きしめてそばにありたいと願うこと。ずっと共にいたいと願うこと。それが恋だというのなら、阿高はもう知らぬふりはできなかった。
「だから、言ったろう」
 傷もだいぶ癒えて、見た目にはすっかりいつもの調子をとりもどしたかのような藤太は、かすかに笑って見せた。
「おまえだって、きっとそんな相手がみつかると。おれは信じてたよ」
 ついさっき賀美野が顔を出していったとき、藤太はくわしく鈴のことをたずねていたのだった。
 元気がない、食欲もあまりない。いつも外を眺めている。
 それをそばで聞いていた阿高は、いつまでも庭をうろうろと歩き回り、藤太をあきれさせた。
「いつさらいにいくんだ?」
 阿高はため息をはいた。
「ここは武蔵じゃない。むりだ。鈴は皇だぞ」
「知るか。皇だろうと、なんだろうと。ほしいのなら、とりにいけよ」
 阿高は半分怒りながら藤太をにらんだ。
「生粋の姫様だぞ。武蔵の暮らしになじめるかどうか」
「姫様にもいろいろいるのだろうさ。男にもなった子だぞ、見込みはある。阿高の嫁にだってなるさ。あの子は、おまえのことを憎いとは思っていない」
「嫁?」
 阿高は絶句した。
「いや、そういうことなのか・・・・・・?」
 藤太は笑った。傷にひびいたか、かすかに顔をゆがませながら、まだおかしいと見えて体を折るようにして忍び笑った。
「おまえは変わったよ。あの子が変えた」
 そして、笑いやめて、まっすぐに阿高をみつめた。
「この先、一緒に死んでもいいとまで言ってくれる子に、会えると思うか? おまえのために泣いてくれる子に、会えると思うか?」
 阿高はぎくりとして、口をつぐんだ。
「鈴はきっと、うんと言うよ。言わなかったら、まあ、それはそれさ」
 藤太は阿高をみて、ひどく意外なものを目にしたように吹き出した。
「わかったよ、きっとあの子はうんと言う」
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