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恋知らず

Category薄紅天女 二次
「阿高にはわからない。恋の苦しみなんて」
 さも知った風に言う叔父を、阿高はにらんだ。畝起こしは、あと半分残すばかりだ。かなり急いだのは、言うまでもなく藤太がせかしたからだった。
 はやく想い人のもとへ行きたいのだ。それしか考えていないのだろう。
 阿高の声は穏やかではなかった。
「なにが苦しみだ。藤太のは、毒のある茸を香味だと思って食べて、勝手に腹痛で苦しんでるだけだろ」
 藤太は眉をつり上げた。
「おい、千種を毒茸呼ばわりするな。いくらおまえでもただじゃおかないぞ」
「どうただじゃおかないんだ?」
 組み合いかねない二人を見て、まず広梨が止めに入った。
「けんかしているひまはないぞ。はやく仕事を片づけないと」
 ことの成り行きと、なかなか藤太になびかない骨のある娘の話を聞きだした二人は、この恋の行方を真剣に案じる者の顔をしながら、半分は楽しんでいるのにちがいなかった。千種は隣郡の日下部の娘で、簡単に口説ける相手ではない。だからこそ、攻略のしがいもあるというものだ。
 茂里が水筒に栓をすると、ため息混じりに言った。
「阿高も恋をしてみろ。いまは藤太があほのように見えるだろうが、常人の何かをおかしくするのが恋心というものらしいからな」
「おれはいい。・・・・・・面倒だ」
 阿高は気がそがれたように、心底からうんざりして言った。
「阿高が所帯を持つなんて、想像できないな」
 どんな娘にもつれなく接する阿高を見れば、広梨が本気でそう言うのも道理だった。だが、藤太は真顔で言うのだ。
「きっと阿高は、隣にぴったり寄り添うようなかわいい娘を手に入れるよ」
 阿高は答える気にもなれなかった。全く想像ができなかったのだ。
「どこかでな、きっと。みつけるよ」
 重ねて藤太は言った。それほど変わらぬ広さの甥の背中をばちんと叩くと、阿高がふるった腕をすいとよけてみせた。
「恋しらずが恋に落ちる日が、楽しみだ」
「振り返ってもらえる見込みの薄い自分の恋をまずどうにかしろよ」
「言ったな。見ていろよ、ぜったいに、うんと言わせて見せる」
 すこし自信がなさそうな藤太の顔を見て、ひとしきり笑ってから、つぶやくように阿高は言った。
「藤太の手伝いはするよ。約束だものな」
「当たり前だ」
 うそぶく藤太をにらみながら、阿高は思った。
(おれが藤太のように誰かを好きになれるときなんて、たぶん、一生来ないんじゃないだろうか)
 なぜそんな風に思うのか、うまく説明もできそうになかった。
 きっと、恋というものは選ばれた者だけがかかるふしぎな病なのだ。
 その人のことを考えるだけで、夜も眠れず、飯ものどを通らず、噂を聞いただけで胸が苦しくなる。
 その人の手にふれて、まなざしをとらえて、二人の間には何人も割り込めないと、きつく抱き合うこと。そうしてはじめて想いは報われる。
 阿高には耳にするそのどれもが、ぴんとこないのだった。
(おれは、いらない)
 阿高はため息をはいた。
(そんなものは、いらない)

 人ではないものになりつつあると、そう認めることは、不愉快で不気味なことだった。故郷での日々の思い出だけが、阿高をただびととして立たせてくれるような気がした。
(もう、いい)
 何もかも、振り捨ててゆく覚悟だった。
「わたくしもいっしょに最後までついていく」
 思いがけないところから、思いもしない申し出をうけて、阿高は少しばかり腹が立った。足手まといが一人前の口をきく。これからどんなことが起こるか、阿高にもわからなかった。
 阿高の存在など、木っ端のように砕け散るかもしれない。うまくいって、相手の喉笛に食らいつき、滅ぼし去るか。それができたとして、勝敗なぞがつく問題なのかすらもわからない。なにもかもが読めないのだ。
 どちらにしても、無事ではすむまい。
「一人にしないといっているのよ」
 鈴に言われてはじめて、阿高は自分がしいてそのことを考えずにいたことに気づいた。
「わかったよ、あやまる」
 あらためて鈴を見つめると、阿高はいまさらといえばあまりにいまさらなことに気づいた。
(こいつは、こんな時までついてくる気でいるのか)
 阿高とて、勾玉を持っていなければこんな騒ぎからは逃げ出していたろう。ましてや鈴は女の子だ。阿高の知る娘たちは、守られることを当然と思っている。ところが、生まれながらのお姫様は、そんなことなどおかまいなしなのだ。
(おかしなやつだ)
「そらそうとしないで。わたくしは本気なのだから」
(守ってやると、言わんばかりだな)
 唇をつぐんで、一歩も引かない様子の鈴を見て、阿高はおかしいようなくすぐったいような妙な気持ちになった。
「わかったよ。それが望みなら、ついてこいよ」
 ついてこい、そう言ったとき、鈴は大きくひとつうなずいた。その仕草がいじらしくて、ちびクロにするように頭でもなでてやりたくなって、阿高はあげかけた手をあやういところでおろした。
 皇の姫だということを、ついつい忘れがちになる。本来なら、気安く口もきけない相手なのだ。
(・・・・・・なんだ?)
 役目を果たすにしろ、死ぬにしろ、もうすぐ鈴とは別れることになる。そのことが、いくらか辛いことのように思えたのだった。
 手に入らないから、ほしくなる。いつだったか藤太にぶつけた言葉が、いまこそ我が身にかえってきたようで、阿高は心底から驚いたのだった。
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