恋におちた日~菅流

2011.11.21.Mon.04:07
 オグナ丸を隠した場所にたどりついたのは、もう日も暮れようというころだった。一刻もはやく出発しようとする遠子を落ち着かせ、たき火のそばに座らせると、今盾がのんびりと言った。
「夜が明けてから漕ぎだしたほうがいい。月も出ない晩だもの」
 遠子は頬をふくらませた。
「のんきなこと。あなたたちの故郷にまほろばの手が迫っているのよ」
 菅流は責めるような視線を感じて、遠子を見やった。妻問いどころか子守に終わった旅を、いまだにちょっぴり悔やんでいた菅流は、何を考えていたかお見通しとでも言いたげな遠子の軽蔑のまなざしを鼻で笑った。
「伊津母の国造どのは、まほろばの敵じゃない。むしろ、最高のもてなしをするはずだ。おれは、過ぎた心配だと思うがね」
 遠子は何も言わず、ぷいと顔を背けた。
 いっこうに口をきかない遠子に、さすがの菅流もむかっぱらを立てた。
「よう、いいものを見つけたぞ」
 水を汲みに行っていた扶鋤が、陽気な声をあげた。たき火をはさんで、むくれた遠子と押しだまった菅流を見て、扶鋤は小声で今盾にたずねた。
「遠子はまだ口をきかないのか」
 今盾は肩をすくめた。
「見りゃわかるだろう。最悪なのは、菅流までへそを曲げちまったらしいってことだ。
それより、何を見つけたって?」
「いで湯だよ」
 よせばいいのに、扶鋤は遠子にちょっかいをかけた。
「なあ、遠子も女の子なら少しは身ぎれいにしたいだろう。湯につかれば、たまった垢もきれいにおちるぞ」
 遠子はつんとして言った。
「けっこうよ。わたしはここで火の番をしているから、どうぞ、行ってくれば」
 ひざを抱えて、顔を伏せた遠子を、菅流はちらりと見やった。男たちは顔を見合わせたが、クマソの湯のことをみやげ話にでもしようと気楽に汗を流しに行ったのだった。

 湯につかっても気分は晴れなかった。菅流は枯れ枝を荒っぽくへし折って、火にくべた。
(遠子ときたら、怒るのだけは一人前なんだからな)
 腹が立つのに放っておけないのは、相手が子どもだからだ。
(おれたちがのんびりしているだと?)
 焦りがないと言ったら、うそだ。すぐにでも伊津母に帰りたい。今盾も扶鋤も、あえて言わないが同じ気持ちだろう。
(遠子の気持ちもいくらかわかる。まほろばのやつらというのは、なんともいやな感じがするからな)
 夜更けに火の番を変わってから、少し眠気に引きずられたようだった。はっとして顔を上げると、松の根本に丸まって眠っていたはずの遠子がいない。
 いやな予感がして、菅流は胸元から勾玉を取りだした。闇を照らすふしぎな光は、いまや二つになり、多少の暗闇などはものともしない明るさで足下を照らし出した。
 浜におりて、オグナ丸のとも綱がしっかり結ばれているのを確かめると、走るように野営場へ戻った。遠子はまだ戻っていない。用を足すにしても、遅すぎる。
(どこへ行ったんだ)
 菅流は再び浜へ走った。波の音にかきけされないように、大声で遠子を呼んだ。耳をすましても、こたえはない。
 まさか、泳いで? 菅流は闇をにらんだ。ありえないことだが、遠子はそれすらやってのけるような奇想天外な娘だ。
 崖の上でも探してみるかと後ろを向きかけると、すぐそばに遠子が立っていて、菅流はあやうく悲鳴をあげるところだった。
「何かあったの」
 かすれた声で遠子は言った。菅流の予想通り、ほほには涙の流れたあとがあった。
「ばか!」
 菅流は一声、怒鳴った。
 いつものようにわめけばいい。地団太を踏めばいいではないか。こっそりと一人で泣くなど、ゆるせないような気がしたのだった。
「一人でいなくなるな。心配したんだぞ」
 遠子は目を大きくした。そして、いやに素直にあやまった。
「ごめんなさい」
「何をしてたんだ、こんな夜の浜で」
「・・・・・・探していたの」
「何をだ」
「いで湯」
 誰もいない浜で泣いていたなんて、素直に言わないところが、じつに遠子らしかった。菅流はため息をつくと、歩きだした。
「ついてこい」

 湧きだした湯は、半月状にえぐれたくぼみに溜まって、深いところは腰あたりまでもあった。
「あまり遠くへ行くなよ。急に深くなるからな」
(おれはこいつの親父じゃないというのに)
 遠子を見ているとあぶなっかしくて、あれこれと口出ししてしまうのが、我ながらおかしく思えた。
 大岩に腰を下ろし、水音を背に聞きながら、菅流は目を閉じた。
(なぜなんだ。遠子があんなにも必死にまほろばの皇子を追うのは)
 故郷を滅ぼされた恨みをはらすためか。だとしても、娘の背に負うには重すぎる荷だ。
遠子の口から小碓命という名を聞いたときも、妙な違和感があった。命と呼ぶとき、憎しみだけではない、憧れさえ声にはにじんでいなかったか。
(おまえは本当に殺すというのか。そんな泣きそうな顔をして、細い腕で)
 できるわけがない。
 遠子が小さく声を上げた。あわてたような叫びだったので、菅流は思わず振り向いた。
「どうした」
「大丈夫、ちょっと指をひっかけたの。血が出ただけ」
「見せてみろ。指のけがもばかにできないぞ。・・・・・・あれだ、おれは目を閉じててやるから」
 水音が近づいてくる。菅流は目を閉じずに、それを待っていた。闇のなか、勾玉の光に照らし出されるうすっぺらな胸、丸みのない腰。遠子は菅流のまなざしに気づいても、乙女らしい恥じらいはみせなかった。
「うそつきね。目を閉じると言ったくせに」
 菅流は言い返せずに、差し出された手を取った。右手の親指の付け根を少し深く切ったようだ。流れる血はやけに毒々しく見え、白いひじまで伝うところだった。菅流は考えるより先に噛みつくように傷口に唇をつけた。
 血の流れを見て、女の白い股の内にはしる月のものが思い浮かんだ。
 つかんだ遠子の腕から伝わる脈は速い。ふりはらいもせずに、どんな目でこちらを見ているのだろうと、菅流はふと興味がわいた。傷口を舌でなぞると、遠子は菅流の頬をひっかいた。
「いて。それが礼のかわりか」
 傷口をおさえて、遠子は菅流をじっと見上げていた。それは、おそれと高ぶりの混じった目だった。
 これは少々まずいことになったと、菅流は目をそらした。遠子の視線はいつだってからっとしていて、なんの含みもなかった。だが、いまはちがう。
 菅流がうっかり女を見るように品定めをしたことを、遠子はわかっているのだ。傷に口づけしたとき、ふと気まぐれにわきあがってきたよこしまな考えに気づいているのだ。
「女じゃなくてわるかったわね」
 遠子はむくれたように言った。
「まだ怒ってるのか」
「・・・・・・いいえ。あなたにあやまりたかったの。八つ当たりをしたこと」
「八つ当たり?」
 遠子は顔をしかめながら、それでもむりやり笑ってみせた。
「小碓命がいないと聞いて、がっかりしたの。本当に、悔しかった。あなたに怒るなんて筋違いだって、わかってる。でも、どうしてかわからないけど、わたし、甘えてしまうみたい。あなたには感謝してもしきれないのに」
 菅流はしばらく呆然としてなにも言えなかった。男でも女でもない、貧相なちびっこでしかなかった遠子は、この世のものならぬ光に照らされて、なにやらやけにきれいに見えた。
 ふるいつきたくなる豊満さもなければ、艶もない。なのに、これほどいじらしく、抱きしめてやりたいと思った相手に、今まで出会ったことがなかった。
 そんなことを思う自分自身に、手ひどく裏切られたような気さえした。うるさいほど鳴る胸を、取り出して水底に沈めてしまいたいくらいだ。
(いくらなんでも、こいつに、それはない)
「感謝などいい。・・・・・・ほら、きちんと手当てをしないとたたるぞ。さっさとあがって、衣を着るんだ。このうえ風邪でもひかれたら、迷惑だからな」
(目を閉じておけばよかった)
 激しい後悔にさいなまれながら、菅流は頭を振った。  
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