祝言の日まで4

2011.03.02.Wed.08:13




 輝の御子たちに仕えていた豪族たちは、稚羽矢の姿を見、声を聞き、その落ち着いた様子に感嘆することを隠さなかった。
 輝と闇、手をたずさえて新たな国をつくるという考えは、闇を敵として戦ってきた人々にとっては容易に受け入れられない考えであることは確かだった。しかし、彼らは稚羽矢をあらたな豊芦原の支配者とすることを望み、稚羽矢のもとに集うことを約束した。
「大王の隣に輝の者があるべきだと?」
 不快をあらわにして科戸王が言った。
「稚羽矢、それでそなたはなんと言ったのだ」
 夕刻、篝火で赤く染まった稚羽矢の横顔は、不思議そうだった。
「そうなのだろうか、と言った」
「まったく」
 科戸王は稚羽矢の胸ぐらをつかむと、揺さぶった。
「ばかなことをしたな。近いうちに我先にと娘たちを送り込んでくるぞ。新たな宮には采女も祓いも必要ないと知って、あの者たちは別の手だてを考えたのだ」
 科戸王は乱暴に手を離した。稚羽矢はよろけて数歩あとずさりをした。
「別の手だてとはなんだ」
 科戸王はのんきな奴よとにらみつけた。
「そなたの后候補として娘を薦めてくるということだ。
 まったく、そなたはこのところ狭也を避けているようだが、それもなお悪い」
 稚羽矢は顔をしかめた。
「昼間はなんとか会いに行ける。でも、夜は行けない」
「なぜだ」
「どうしてだろう」
 目を伏せた稚羽矢は、小さな声で答えた。
「狭也が必要だ。なのに、時々傷つけてしまいそうになる。わたしの中の大蛇がでてこようとする。狭也は兄上を思い出していただけだとわかっているのに」
「そなたは天上の宮ではなく、地上にとどまることを選んだのだ。狭也と共に生きると決めたのではないか。だからこそ、危険な闇の道を通って迎えにいったのだろう」
 篝火がぱちりとはぜた。稚羽矢はうなずいた。
「父神ですら千曳の大岩で塞ぐことしかできなかった比良坂を下ったのだ。そなたしかできぬことだった。だからこそ、あきらめもついたのだ」
 苦しい声で科戸王は言った。
「地に生きることを決めたのなら、人の流儀を覚えろ。そして、守りたい者を守れる分別を身につけろ。おそれにとらわれて、そなたは見失っているぞ、狭也を」
 もっと言いたいことは他にあるような口振りで、科戸王は足音も荒く立ち去った。
(わたしはとらわれているのか?)
 科戸王の遠ざかっていく背中を見つめながら、稚羽矢は胸の内に広がるもやのようなものが再び大きくなってくるのを感じていた。
「狭也」
 もう辺りは暗い。狭也はきっと部屋で休んでいるだろう。今彼女のもとには行きたくなかった。
(狭也に悲しそうな顔をさせてしまう)
 どうすれば狭也が笑ってくれるのだろう。
 彼女が微笑んで、時には少し困ったように顔を赤くして目を伏せる時、胸がどうしてか痛くなる。神殿で夢を見ていた頃には知らなかったことを狭也は教えてくれる。
「もう見失いたくはないのに」
 吐き出すように稚羽矢は言った。
「稚羽矢?」
 軽やかな足音が聞こえ、暁の色の裳を着込んだ狭也があらわれた。
 稚羽矢は一瞬、自分の思いが形になったのかと驚いた。
 唇をぎゅっと結んだ狭也の表情をみると、胸がざわつく。稚羽矢は彼女を見まいと顔をそむけた。
「こっちをみなさい、稚羽矢」
 狭也は命じたが、従うとまずいことが起きそうで、聞こえないふりをした。
「あたしが嫌いなの」
 稚羽矢はびっくりして狭也を見た。
「どうしてそんなことを言う?」
「あなたがあたしを忘れてしまったからよ」
「忘れるわけがない」
 稚羽矢は息をのんだ。狭也の頬につたう涙をみて、射ぬかれるほどの動揺を覚えたのだった。
「狭也、どこか痛むのか」
「痛いわ」
 すこし手を伸ばせば涙を拭える。なのに、稚羽矢は動けなかった。
「薄情な人ね。泣いている子を放っておくの」
「狭也を呑み込んでしまうかもしれない」
 彼女は目を細めた。
「あら、あなたの口はそんなに大きかったかしら。ためしてごらんなさいよ、あたしが食べられるかどうか」
 まずいことになったと稚羽矢は息を詰まらせた。
「さあ、でないともっと泣いてやるわ」
 稚羽矢は息を吸い込むと、目を閉じて手を伸ばした。指先が彼女の髪に触れた。細いやわらかな髪だ。ちいさな耳たぶにも触れた。そして、細い首へ。狭也の肩がふるえた。
「ち、は」
 稚羽矢は伸ばした手を背中に回すと、引き寄せて強く抱きしめた。狭也の小さなうめき声は稚羽矢の衣に吸い込まれてしまう。目を開けると彼女のしろいひたいが見えた。おそるおそるそこに唇を押しつけると、火に触れたように熱くなった。涙にぬれたまぶたを舌でなぞると、どこか海の味がした。
「痛かったか」
 狭也は顔を上げて、稚羽矢をみつめた。
「ええ、ここが。あなたも痛むことがあるのならいいんだけど」
 稚羽矢は何も言わずに狭也の手を取り、鼓動を打つ胸にみちびいた。
「わたしも同じだ。どうすればいいか知っている?」
 狭也は背伸びをして口づけをした。やわらかさとあたたかさはえも言われぬ心地よいもので、稚羽矢はそっと目を閉じた。惜しむように唇を離すと、ため息とともに吐き出すように稚羽矢は言った。
「わたしは、おそれていたんだ」
「何をおそれるの」
「わたしは大王になどなれない」
 狭也が息をのんだ。
「姉上と兄上のように振る舞えるとは思えない」
 しばしの沈黙のあと、狭也は言った。
「きっと、同じようにする必要はないのじゃないかしら」
 稚羽矢は問うようにまばたきをした。
「あたしたちのやり方を考えればいい。まちがえたら、何度でもやり直せるのよ」
 狭也は続けた。
「あなたがた姉弟はお姿がよく似ているわ。でも、内に秘めているものは皆鮮やかなほど違う。そして、あたしが一番好ましいと思うのは、稚羽矢なの。ごめんなさいやありがとうを知っているあなたなのよ」
 狭也は決まりが悪そうに言った。
「この間、昼の御座で皆に話をしたあなたはとても立派だったわ。
 新しい国の大王にふさわしく思えたもの。でも、あたしはその隣に立てなかった」
「狭也」
「あたしも大王になどなれないと思ったわ。今でも、そう。どうしたら覚悟がつくのかもまだわからない」
 稚羽矢の手を握り、狭也は強い瞳で言った。さっき泣いていたせいか、潤んだ目元は赤い。もう一度唇で触れたいという思いを押さえて、稚羽矢は続きをうながした。
「でも、必ずあなたのそばにいる。あなたがいやだといっても。あたしはそれを言いにきたのよ」
 稚羽矢は大きく目をみはった。そして、眉の辺りにあったくもりを晴らして、ためらいがちに微笑んだ。
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