祝言の日まで3

2011.03.02.Wed.08:00




 悼む声は長く耳に残って離れなかった。
 岩姫のなきがらをおくるとき、急に雨がふりだした。雨は人々の顔をぬらし、衣の肩口を湿らせるといつしかやんだ。
 けむる山の端に虹がかかり、それは死を終わりではなく新たなはじまりと知っている闇の氏族にとって、大変な吉兆だった。

 狭也は氏族の主だった人々が顔をそろえる中、消え入りそうな心細い思いで総帥の幕屋に座していた。
 稚羽矢とできるだけ離れていたくてわざと最後に入り、目立たぬように息をひそめた。それでも稚羽矢の姿を探してしまう。彼は開都王のすぐ隣に座していた。一瞬だけ目があったが、稚羽矢はそっと横を向いた。
 闇の女神のもとから帰ってきたとき、稚羽矢と心が通いあったと思ったのに。
 それは気のせいだったのだろうか。いや、確かに狭也は稚羽矢をみつけたのに。
(稚羽矢は迷っているの)
 心が揺れるふがいなさが悔しかった。狭也を死から呼び戻した岩姫にこれでは顔向けができない。
「国を建てるために、我々は輝の者とも手を取り合わねばならない」
 開都王が重々しく言った。
「それは口で言うほどたやすいことではないのも確かなことだ」
「ある者は宮を捨て一族を集め、ある者は宮の一隅にたてこもり、こちらの出方をうかがっております」
 古株の一人がそうのべた。
「輝の御子のしもべだった者たちが、われらと手を組むことを是とするでしょうか」
 科戸王が言うと、そのとおりだとざわめきが起こった。
「皆、忘れるな」
 総帥たる開都王は皆を見渡した。一つ目が狭也をとらえて、言い含めるようにゆっくりと言った。
「我々と輝の者たち、どちらが欠けても新しい国はできぬのだ。彼らを無視はできまい」
 しばしの沈黙が落ちた。それは心がふさぐような静けさだったが、それを打ち破ったのは思いがけないことに稚羽矢だった。
「わたしも輝の御子だ。闇の道も知っている。女神の想いも。よければわたしが話そう」
 稚羽矢の顔つきは晴れなかった。苦手な食べ物を、口に入れてしまったからしようがなく飲み込むようなうんざりした顔だった。
「そうか」
 開都王は言い出すのを見越していたかのように、すぐさま続けた。
「早い方がいい。稚羽矢が地上に残る唯一の御子だということを彼らに思い出してもらおう」



 輝の御子たちが政をするために使っていた昼の御座には、かつてないほどの人々がつめかけていた。闇の伝令が飛び回り、息を潜めていた者たちを集めた。
「なんだ、元気じゃないか」
 それほど広くもない場所に大勢が詰めかけて、押しあったりけんかをしたりしている。
「うるさいうるさい。鳥のおしゃべりのほうがかわいいって思えるよ」
 鳥彦はまんざらでもなさそうに言った。
「外にも人が大勢いるよ。みんな二人を見に来たんだ」
 宮に人の存在をこれほど強く感じたことはなかった。御座の手前の廊下に居ても、ざわめきの大きさは伝わってくる。狭也は身支度を終えて、同じく正装をした稚羽矢に向き合った。
 彼の身につけているのは兄王のものだったが、あつらえたようにひどく似合っていた。油をすりこみ角髪を結っているため後れ毛もなく首筋はすっきりとしていて、胸元には華美でない管玉を連ねていた。薄い紫の襲を肩にかけると、海で漂流し、海草やらを足にまとわせて死んだようにぼろぼろになっていた姿とあまりにも違うので、狭也はかるくめまいが起こった。
「稚羽矢、本当によく似合っている」
 動揺を抑えて稚羽矢をみつめると、かすかに笑った。
「狭也も。きれいだ」
 素直に喜べないのは、彼の瞳に憂いがあるのに気づいているからだ。昨夜、冷えきった手を暖めてほしいと言った稚羽矢。今このとき、彼は狭也と目も合わせずに、手も触れようとしない。
「さあ、行け。そろそろいい頃合いだ」
 科戸王がやってきて、二人をうながした。
 稚羽矢はうなずくと、御座へと踏み出した。狭也がそっと伸ばした手に、稚羽矢は気がつかないようだった。襲のすそが狭也の手をすりぬけていった。
「狭也?」
 科戸王の差し出した腕にとまった鳥彦が、案じるように言った。
「稚羽矢は出ていったよ。さあ、行かないと」
 歓声がわき起こり、狭也はそのあまりの大きさに身がすくんだ。
「わかってる。今行くわ」
 それでも足は地に張り付いたように動かなかった。稚羽矢の隣に立たなければならない。今までそれが当たり前だったのに、こんなに難しいのはどうしてなのだろう。
(稚羽矢が望んでいないから)
 彼は狭也を避けている。腹が立つし、悲しかった。
(悲しい? ちがうわ)
 狭也は自分の気持ちに気づいて、情けなさで泣きそうになった。
 大王にもなろうという人を前にして、気後れしたのだ。きらびやかな美しい姿に並び立てる自分ではないとおそれをなしたのだ。
 信じられなかった。おろかなことだ。稚羽矢は出会ったときから稚羽矢で、変わったところがあったとしても、それは彼がたしかに身のうちに秘めて持っていたものだ。輝の御子としての彼、大蛇としての彼をおそれもした。疑いもした。でもそれは乗り越えたもののはずだった。
「狭也」
 ふと大きな手が伸びてきて、肩をたたいた。科戸王が手布をさしだした。狭也はひどく聞き取りにくい声で言った。
「行けないのです。いっそのことあたしを担いでいって、あそこに放り出してください」
 ひどくみじめだった。輝と闇が並び立つところを見せるのは、大切なことだったのに、狭也には荷が勝ちすぎているように思えた。
 このうえ泣いたところを見られるなんて、軽蔑されても仕方のないことだ。ところが、科戸王の声はいくらかやさしかった。
「無理はするな。これから姿を見せる場はいくらでもあるのだから」 
 稚羽矢は戻ってこなかった。それでいいのだ。なのに胸が痛んだ。
 手に負えない自分の甘えに狭也は唇をかんだ。
(疑っているのはあたしだ。稚羽矢は危険な闇の道を通ってあたしを探しにきてくれた。
 なのにあたしは何も返せていない)
 稚羽矢を受け止めきれないのは、狭也が自分を信じられないからなのかもしれなかった。だからほんのすこしの恐れや疑いにこれほどに乱されてしまう。
(大王になどなれないわ)
 人々のざわめきがやんだ。
 長い間、二人の御子のかげに隠れてその姿を見る者もいなかった。祓いの重要な日に、あろうことか宮を破壊しながらいずこかへ去った末の御子のことは、人々の口をわたるうちにおそろしげな化け物のような姿にさえなっていた。
 荒ぶる国つ神のように、御しがたい者。
 しかしそれが地上に残った唯一の御子なのだ。どんなことを言うものかと、気にならない者はいなかった。
「わたしは輝の末子だ。あなたがたに親神のお考えを伝えようと思う」
 稚羽矢はそう切り出した。
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