恋の奴5

2011.11.07.Mon.18:12
稚羽矢を牢に入れるべし。
 ひざをつきあわせた人々の面もちはおしなべて暗く、焦りと苛立ちがにじんでいた。
 軍議での決定に異を唱える者はいなかった。伊吹王だけはかたくなに反対したが、それでも総帥の心は変えられなかったのだ。
 輝の御子を監禁し、ふらふらと陣内を出歩けないようにする。かつて強く望んだことが果たされようとしているにも関わらず、科戸王の憂いは晴れようもなかった。
 まもなく、輝の喉元に食らいつくことができる。中瀬川をはさんで、まほろばは目と鼻の先だったのだ。
 おのずと士気は高まり、だがおいそれと河を渡ることもかなわずに、戦線は膠着していた。そんな中、闇夜に後尾の一軍を急襲され、闇の軍は多くの物資と兵を失ったのだった。戦力をそがれたことより重大な問題は、大所帯、言い換えれば寄せ集めともいえる軍が、ばらばらになる危うさがあきらかになったことだった。どうしてこんな事態に陥ったのか。内部に手引きをする者があったに違いないと、あちこちで人々はささやきあった。
 稚羽矢が内通しているのだと。
「ねえ、狭也はこの話を聞いたらどう思うかな」
 気安く肩にとまった鳥彦を、王はちらと見やった。羽柴の里で水の乙女と出会ってから、鳥彦は何をおいても狭也のことをまず案じるようになった。しがらみや立場など関係なく、心のままに動ける鳥彦をわずかでもうらやむ気持ちは否定できず、王は顔をしかめた。
「姫は、ひどく腹を立てるだろう」
「籠めるしかないの? 稚羽矢はずいぶん変わってきたと思うけど」
「変わろうと変わるまいと、関係ない」
 疲れを隠さないまま、王はつぶやいた。
「おそれと疑いに耳をふさがれた人々に、何をどう言ったら信じる? 稚羽矢は潔白だと、軍を率いる立場の我々も証明できないというのに」
「あきれた」
 鳥彦はやさしく言った。
「あの剣をどうにかして振るおうとして、手に余るとわかったら放り出すんだね。いや、封印するといったところかな。ずいぶんお粗末な土牢だけれど」
「・・・・・・何も好んで閉じこめるわけではない」
 鳥彦はふうん、とつまらなそうにささやいて、羽をつくろうそぶりをした。
「ほっとしているんじゃない? 恋敵を遠ざけられて。異形の大蛇が相手じゃ、いくらあんたといえど、かなわない。狭也を稚羽矢から引き離せれば、一歩も二歩も先んじられるからね」
 王は乱暴に鳥彦を追い払った。
「ふざけたことを。羽をむしってやろうか」
「こわいこわい。むきになるってことは、核心をつかれたってことだ」
 鳥彦はひとしきり笑ったあと、ごく小さな声で言い落とした。
「戦局より狭也の様子のほうが気にかかるよ。稚羽矢を悪者に仕立てるのが、どう考えても最良じゃないってことだけはわかるもの」
 狭也はおそらく、この決定を許すまい。
 臆病をなじり、軽蔑するかもしれない。
(なら、どうしろと?)
 王は目を凝らして、夜闇のむこうをにらみつけた。
 


 王は厳しい声で問い返した。
「なんと言った?」
 稚羽矢が牢を破り、女を殺したなどと。
「冗談でこのようなことは申せません」
 速彦は真っ青な顔をして、ひざまずいた。見上げる目はおののきを宿している。息を切らして、ここまでいっさんに駆けてきたのだろう。
「稚羽矢はどこだ」
「正気をなくした兵士に引きずり回され、いまは林の窪地に。伊吹王様が向かわれましたが、おひとりで押さえられるものとも思えません。もはや、王のお声を聞こうとする者もいないのです」
「ばかな」
 伊吹王が押さえきれないだと。それでは、軍ではなくもはや暴徒ではないか。
 科戸王ははじかれたように走り出した。狭也を連れて窪地に向かう道すがら、彼女はあえぐように言った。
「王、あの人が脱走するなんてありえません」
 苦々しい思いで、王は言葉を投げつけた。
「真偽はわからん。ただ、いきりたった人々が稚羽矢を処刑しろと騒いでいるのは確かなのだ。このままでは、まともな話し合いなどできん。騒ぎをどうにかするのが先だ」
 林に踏み込むまえから、口汚い罵りの声が重なりあうように響いてきた。王は暗い予感に身震いをしながら、走り続けた。
 窪地は耳を覆いたくなるほどの喚き声、怒りの声で満たされていた。どこか勝ち鬨ににていると、王は戸惑いのなかで考えた。
 輝の御子は不死だが、八十に切り刻んで別々に埋めればよみがえらない。
 まことしやかにささやかれた噂を思い出し、王は息をのんだ。のどが裂けんばかりに声を上げる兵士たちは、いまこそためらわずにそれを試すことだろう。
 狭也はよく付いてきたが、すぐに押しあう人々にもみくちゃにされた。王は手を伸ばそうとしたが、届かない。人波に沈み込みそうになった狭也を引き上げたのは、伊吹王だった。
 伊吹王に抱えあげられ、群衆より頭二つ分は抜きんでた狭也は、科戸王には見えぬものを見たようだった。殴りつけられた稚羽矢か、それとも。
 伊吹王の肩からすばやくすべりおりた狭也は、一時視界から消えた。しかし、すぐにあたりの空気を裂くような悲鳴が聞こえた。
「奈津女、どうして、どうして、どうして」
 突き上げるような叫びだ。悲しさよりも、ただ驚きがあふれて止まらないかのような。
 それから起こったことは、まさに悪い夢としか言いようのないものだった。
 詰め寄る人々は衛兵を殴り倒し、輝の御子を手に掛けようとなだれをうった。
 科戸王はもはや手加減なしに立ちはだかる者を殴りつけ、踏みつけにした。
 たよりなく空にのばされた青白い手をやっとのことでつかむと、科戸王は狭也を引き寄せて腕の中にかばった。
「みんなを止めて、早く」
 狭也はこれ以上できないくらい目を大きくみはり、わめいた。打ちひしがれているが、正気ではある。
「無理だ」
 王は叫び返した、ここから離れなければ、こちらの命があぶない。もはや見境などない怒れる集団を、鎮められるものなどいない。
「死ぬのはこの人たちなのよ」
 思いがけないことを狭也は言った。
 驚きに足を止めて王が狭也を見つめるのと、突如として目の奥まで刺し貫くような雷光が空に走ったのは、ほぼ同じ時だった。

  
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