恋の奴3

2011.11.05.Sat.17:39
これは、起こるべくして起こったことだ。
 余煙くすぶる戦場を抜けて、科戸王が谷の入り口にある野営地へ駆けつけたときには、すべてが終わった後だった。
 おびえて一歩も進めなくなった馬を下りると、王は吹き出した冷や汗を手の甲でぬぐった。黒々と焼け焦げた大地の上に、すさまじい力で引きちぎられたような狼の死骸が転がっている。歩くごとに次々と松明のあかりに照らしだされるものを、息をのんで王はみつめた。
 前哨の陣や周囲の木々は見る影もなく焼きつくされていた。雷が天空からこの谷だけをねらい打ち、それは針の穴に糸を通すような迷いのない、執拗ともいえるありさまなのだった。自然ではありえないことだ。
(振るわれたのか)
 まっさきに浮かんだのは、あの剣のことだ。輝の御子すら滅ぼすことのできる、天の矢、雷をはらんだ大蛇の剣のことだ。
(しかし、なぜだ)
 輝の最後の砦を手中にし、敗走した敵軍を追い散らした今、稚羽矢が剣を抜くことになるほどの危うい局面はとうに過ぎ去ったといっていい。
 火がぱちりとはぜるかすかな音すらも、いまは闇の猛者を震わせるに違いない。そう思えるほど居並ぶ人々の顔は青ざめて、おそれにおしかかられているかのように空気は重たく、はりつめていた。
 開都王は顔を上げてこちらに気づくと、憔悴しきった面もちで一歩退いた。総帥の足下には、剣の姫が地にひざまづき、血にまみれた青白い手を握りしめていたのだった。
 いつからそうしていたのだろう。
 倒れ伏して事切れた男の横顔を見て、王はすぐに開都王の近衛だと気づいた。はらわたを噛みちぎられ、なおも剣を離さず堅く握りしめた手を、狭也は泣きもせず、気を失うこともせず、ただ握りしめているのだった。
 幾人かの精鋭が失われた。それ以上に、失われた大きなものはなんだ。
 息苦しさが科戸王を無口にさせた。
(甘く見ていたのだ)
 苦い思いが喉元をせり上がってくる。
 輝の御子を軍に引き入れるなど。するべきではなかった。輝への返す刃として側に置くには危険すぎたのだ。
 国つ神がかつて、このように人々に牙をむいてくることなどなかった。
 ふと気配を感じて顔を上げると、雷に裂かれて黒く焦げた木のそばに立つ稚羽矢がいた。両脇を兵にかためられ、彼らのささげもつ松明が稚羽矢の姿を闇の中にはっきりと浮かび上がらせていた。
 切り裂かれた衣を体にぶらさげて、角髪はほどけてばらばらに乱れていた。そのまなざしは、寄る辺をなくした子どものものだった。
(これほどの力を示しておいて)
 何事もなかったかのように汚れのない清さをたたえている目をみると、あらためて稚羽矢もまた神なのだと思い知らされる。純真と残忍は背を向けあうものではないのかもしれない。
 憎しみよりも強い恐怖を覚えて、王は奥歯をかみしめた。
(これから、あやつをどうする)
 輝の御子の存在はあばかれてしまった。そもそも、隠し通せることではなかったのだ。
 風も吹かない不気味に静かな谷で、王は物も言わない人々とともにしばらく立ち尽くしていたのだった。



 誰が見るわけでもないのに、ひっそりと草草にまぎれて咲く花に気がついて、ふと身を屈めてまでつんでみようなどと思ったことは、かつて一度もなかった。
 木陰からつみ取った竜胆は、手元で見るといっそう鮮やかな青紫色をしていて、王は思わず目を細めた。
「おや、そのように優しくつまれたいと思う花のことなど、今までお気にも止めなかったものを」
 のんびりとした男の軽口を、王はいさめる気もおこらず振り返った。
「そんな花などあったか」
「ありましたとも」
 速彦は食えない笑顔で言った。
「年頃の娘なら、みな憎からず思っているでしょう。御身はわが氏族の大将、利目の隼たる王でいらっしゃるのですから。主のかわりに娘をあしらうものの身にもなっていただきたいものだ」
「それは悪かった」
 竜胆の花束をつきだして、王は顎でしゃくった。
「あやまるから、さっさとこれを持って行け」
 いやそうな顔で、速彦はわざとらしくため息をはいた。
「今日こそは、ご自分でどうぞ」
 知らぬふりで通り過ぎる男を、憎たらしい思いでにらみつけるが、敵もさるものでちらりと笑って見せた。
「まだ目が覚めずにおられるようですから、そっと枕辺においてこられればよいのです。おれは例のお方の様子を見に行ってくるのですから、これは主に背くことではありませんよ」
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