恋の奴2

2011.11.02.Wed.16:39
 伝令を言いつかり闇の総帥のもとへ赴いた速彦は、夕暮れの残光が西の空をわずかに染め残っている頃に陣に戻った。
「神尾山の峠はわれらのものとなりました」
 科戸王は報告を聞くとほっとして、息を吐いた。
「輝の要所を切り崩せたな。敵も死にものぐるいだろう。貢ぎを奪われ、鏡も失われたとあれば」
「敵味方入り乱れて、戦いは激しさを極めたようです。幸い、我が軍勢は最後まで一歩も引かず、敵をおびやかしたと」
「そうでなくては」
 科戸王は頬をゆがめるようにして笑った。
「ほんの手始めと言ったところだろう。うたた寝している輝の子らが、驚きあわてて兜を逆さにかぶっておでましになるくらい、地をどよもしてわれらは攻め上るのだ」
 いつもの軽口が聞こえてこないことに気づいて、王は速彦を見やった。
「どうした?」
 あわてたように速彦が言った。
「いいえ、なんでも。では、これにて失礼いたします」
「用もないときにはしつこく付いてくるくせに、具合が悪くなると無口になるな、そなたときたら」
 科戸王はあきれながら言った。
「姫はお元気だったか」
「はい。お変わりなくお過ごしのご様子でした」
「そうか、さぞ気をもまれたろう」
「浅倉で戦局をごらんになっておられましたが、いまは軍におられます。それと、ええと、あの品ですが」
「言え。もったいぶらずに」
「・・・・・・喜んでおられました」
 科戸王はきゅうにおかしくなって、笑った。そうしてはじめて、自分の笑い声をずいぶん久しぶりに聞いたような妙な感じがしたのだった。
 いつも飄々とした速彦が言いにくそうにしているのは、きっと姫が贈り物を喜ばなかったからだろうというのは、すぐに察しがついたのだ。
「正直に言え。姫は驚いておられただろう」
 速彦は目を丸くしていた。
「はい。なぜ王はこれをくださるのかとおっしゃっていました」
「突き返されないだけましだったな」
 王は静かに言った。
「姫はおれをおそろしく思っているだろうよ。伊吹殿のように朗らかにあれればよいのだろうが。これまで、親しく話したこともない。・・・・・・おれもわからないのだ。なぜあの首飾りを見たときに、姫を思い出したのか」
 口を開きかけた速彦を、王は制した。
「姫のもとにあの翡翠があることがふさわしいと思えただけだ。そなたには手間をかけたな」

 数日のうちに開都王の軍と合流し、疲れた兵士たちが身を休める宿舎も整うと、すぐにも開都の王の使いが訪ねてきた。わずかに身を横たえる間もなく在所に出向くと、狭也と鉢合わせをした。
 かるく会釈をかわすとそれきりお互い口もきかず、物思わしげな開都王の前に座したのだった。
 報告とは例の輝の末子にまつわる話で、王はこみあげてくる不快感を受け流せないまま話を聞いていた。
 大蛇の剣が抜かれ、国つ神が殺されたという。あまりのことに、怒りが腹の底でのたうつようだった。
「神がみを殺されてはもとも子もないことです。そうでなくとも、彼のような者を中にまじえていては、いつわれわれにまで神の怒りがふりかかるかわかりませんぞ」
 神がいない土地は、死んでしまうのだ。
 実りをなさないところに人が住めるだろうか。
 暗澹たる気持ちで、科戸王は口をつぐんだ。
 人も獣も生きられない不毛の大地は、未来永劫、何も宿さない冷たいうろのようなものなのだ。
(輝の御子は不吉だ。そんなものを抱えているなど)
 輝の不死は、闇の生まれ変わりを否定する。闇の女神の末裔である神がみの支配する豊葦原を、まっこうから否定するのが輝の一族なのだ。
「死なないというそれだけで彼を責めるのですか?」
 怒りを含んだ姫の横顔を、王はにらむように言った。
「彼らは豊葦原に不死の国を築こうとしているのであり、それに見あわぬわれわれを、雑草をぬくようにひきぬこうとしているのだぞ」
 言いながら、いとわしさに寒気がした。
 国つ神を鎮めるのなら、おあつらえむきのやつがいるではないか。
 稚羽矢を贄として差し出せば、荒ぶる国つ神の御魂を鎮めることもあるいは可能かもしれない。
「だめです」
 鳴り響くような大きな声で、姫が叫んだ。細身から、どうして出ようかというほどの声だった。
「そんなことをしたら、あたしたちは稚羽矢を失ってしまいます。わからないのですか?」
 なにかに憑かれたようなその決然とした様子に、科戸王はただ驚いて剣の姫をみつめた。
(これが巫女なのか?)
 狭也は闇の知から隔たれ、輝を拝する里で村娘として育った。なのに、ときに岩姫と同じくらいの威厳と思い切りのよさを示すときがある。そして、今がそのときなのだった。
 直観を信じるのが巫女というものだ。
 だが、出会って間もない、しかも敵方の稚羽矢をこんなにもかばい立てできるものかと、不思議ですらあるのだった。
 話し合いが終わり、それぞれの在所に戻る途中、狭也を呼び止めたのはどうしても気になったからだ。
「憎む理由はありませんもの」
 驚くべきことだった。王は物もいえず、ただ狭也をみつめていた。
「それに、稚羽矢は、かわいそうな人です。宮での彼は幸せには見えませんでした」
「幸せ? われわれの幸、不幸はわれわれのものさしによるものだ。彼らが何を感じるかはおしはかることはできない」 
 神とは、理解するものではない。強大で、ときに理不尽な存在が神なのだ。それなのに、狭也はあたかも稚羽矢が情けを理解しうる同胞のように語る。それがおかしくも哀れに思えたのだった。
 人ができることと言えば、神をあがめるか、おとしめるかだ。
 同じところに立ち、その面をのぞき込んで「幸せは何か」とたずねるなど、もはや狂気の域だ。
 たとえばささやかな思慕を、神は喜んで受け取るだろうか? 贄ならばまだしも。ただの人と神が心と心を通わせることが難しいように、理解などできようはずもないのだ。
「だからといって、見返りがなければ酷くあたれるものでしょうか。情けとは、そういうものではないと思います」
 ぼそぼそと小声で言った狭也を、王は虚をつかれた思いで、あらためて見やった。
 黒々とした目が潤んだように光ったと見えたのは、気のせいだろうか。しかし、気をくじかせるようなおののきは、確かなものだ。
(おれは、わかちあえると思っていたのだ)
 どうしてこれほどいらだつのか? それは、秘めていた望みのせいなのだと王は気づいた。
 柔らかな腕で傷ついたこの身を抱きしめ、輝を恨みながらともに泣いてくれると。心のどこかでそんな甘やかな期待さえもっていたのだ。
 闇の巫女は、輝への慈悲を持つ。
 傷つけ、奪うものを思って、泣くことができる。それゆえに、巫女たりえるか。
 これ以上真向かってはいられずに、王は在所へ足を向けた。
「首飾りをつけるといい。翡翠の色は、きっとそなたによく似合う」
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