恋の奴1

2011.11.01.Tue.12:46
地の利を味方に付けた闇の軍勢を相手に、輝の派遣軍は敵ながらよくやったと言ってよい。照日王が不在のまま、兵を少しづつ削られた本隊は、最後にはこちらに背を見せて、あてどもなく敗走したのだった。
 そんななか、輝への恭順を捨て、そのために制裁の危険にさらされていた里をはからずも救うことになった。長の一族にもてなされた心尽くしの宴は、闇の兵の志気をいっそう高めたのだった。
 港を有する豊かな里には、小さくも市が立ち、珍しいものを並べた家の軒先には名も知らぬ魚や貝が並べてある。
 市を冷やかすものがあったとしても、科戸王は見て見ぬふりをした。物資の補充はすでにすんでいる。
 開都王の軍とも予定より早く合流できるだろう。東進のさなか、気ばかりが急く。しかし、強行軍を率いてここまで来れたのは、ひとえに鍛えられ、また統率を受け入れた兵たちの優秀さのたまものだということもわかっている。
(少しの休息だ。明日からはまた野山を踏みゆくのだから)
 むしろを広げたうえに小ぎれいな布をしき、並べられた玉がふと気にかかり、王は足を止めた。番をしていた老人が、ゆっくりと顔を上げてしわだらけの面で愛想良く笑った。
「どうですかな、お一つ。きっと妻の君がお喜びになる」
「いや」
 ひどくばつの悪い思いで後ずさると、後ろからのぞき込む者があった。
「こりゃあ、美しい。じいさん、こいつは荒潟の翡翠じゃないかね」
 その声の主は、王を押し退けるようにしてむしろの前にかがみ込んだ。
「速彦、おまえがどうしてここにいる」
「どうしてって、おれは王の側近ですからね。もちろん、馬や荷は整いましたよ。いつでも出立できます」
「そういうことではない」
 王は腕組みをした。
「首長殿には、礼を保って丁重に伝えてきたのだろうな?」
 ちらりとこちらを見上げた男は、吹き出すのをこらえるような顔をしていた。
「ご自分で行かれればよかったのに」
 にらみつけると、腹心の部下は肩をすくめた。
「首長殿はまだあきらめてはおられませんでしたよ。それに、姫様がたもひどく寂しがっておいででした。せめてあと一晩でも、出立を日延べしてはいただけないかと、それはもう、泣きそうなお顔で」
 うんざりした気分で、王は腰に履いた剣を鳴らした。
「それどころではない。これから戦いは重要な局面を迎えるのだ」
「そのとおりです」
 責めるような声の調子からして、まったく同意していないのは明らかだった。 
「たしかに、姫様の愛らしさは認めますがね」
 やや動転して、王は言葉につまった。
「どこの姫だと」
「我らの剣の姫様ですよ。あのお方は、まるで春の野原に舞い降りた風の女神のような方です。・・・・・・それでも、ゆうべの祝いの席での姉姫妹姫の美しさにはかなわないでしょう。黒蜜のような肌、大きな瞳、笑んだ唇。豊かな胸に見向きもしないなんて、わが主はどこかお悪いのですか。信じられない。ああ、もったいない。なんのかんのと、軽口をたたかれても、おれはこの件に関しては主の肩をいっさい持ちませんよ」
「少し黙れ」
 この速彦という男は、主を主とも思わない物言いを、すまないとも、出すぎたこととも思っていないようなのだった。それも、お互いの年がそれほど離れていないという気安さのせいなのか、この男の生来の気質のせいなのかはわからない。
「男のおしゃべりはみにくいぞ」
「そうおっしゃられても。おれの故郷では、雄弁な男が好かれるもので」
「雄弁とおしゃべりは違う。おれはそなたのようなのが、大嫌いだ」
「けっこうです。望むところです」
 ああいえば、こういう。心底から腹が立たないのが不思議でもある。 
「・・・・・・ああ、これと、これを。あれも」
「おい、行商でも始めるつもりか?」
 こんなに手纏をどうするつもりなのか。
「黙ってあなたさまもお選びになってください」
 王は少々面食らって、腹心の部下をみつめた。
「櫛や飾り紐、玉。腹の足しにもならん」
 顔を上げた速彦は、心底から哀れむように王をみやった。
「乙女の若やる胸に、口づけで花を飾るのですよ。そのために小さな贈り物を選ぶのは男のつとめです」
 ばかばかしいので、王は無視することにした。頭に花でも咲いているのだろう。
「うん、たしかだ。王、これは良い品ですよ。ごらんになってください」
 しつこく言うのでいやいや見ると、翡翠にしては、すこし黒ずんでいるようだ。
「よい品か。まずまずだな」
 つぶやくと、にやっと笑った老人は王を手招きした。なんとなく身を引けずにいると、おもむろに取り出した袋から、細い管玉を連ねた首飾りを出して見せた。
 速彦は口をつぐんで見入っている。
 これまで見たこともない細い管玉は欠けもなく、なめらかに輝いていた。これほどに磨きあげるには、大変な手間と技術がいるだろう。ほかの品とくらべて、やや質素にすら見えるのも気に入った。華美ではなく、素朴な美しさは、王に剣の姫を思い出させた。
 飾るものがなくても、ただそこにいるだけであたりを払う、清浄さ。この首飾りはきっと、白い胸元に似合うだろう。
 老人は交換とも言わず、首飾りを王に差し出した。手を伸ばして受け取ると、静かに、だが強く胸が痛むのを確かに感じた。これは、単なる贈り物だ。ほかに何の意味もない。
 闇の巫女がだれかの妻になるはずもないのだ。なにしろ、狭也は剣を鎮める水の乙女なのだから。
 それでも、と。王は半分驚きながら、首飾りをみつめた。
 単なる贈り物のわけがない。これは、妻問いの宝にこそふさわしい品だ。
(妻問い)
 これを手にしたときに、報われる見込みのない恋心をも引き受けてしまったような気がした。そして、それはもうなかったことにはできないのだ。
「今度わが主を木石というやつがいたら、こっぴどく叱っておきますからね」
 訳知り顔でそういう速彦は、何度もうなずいて見せた。
「利目の隼を骨抜きにするとは。我らの巫女姫はなんとも・・・・・・。いや、ご安心ください。その品はこの速彦が命にかえても姫様にお届けいたします」
 科戸王は深いため息をはくと、ひたいに手を当てた。
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