山の神6

2011.09.27.Tue.21:55
「巫女であればこそ、そなたは稚羽矢のそばにあろうとするのではないのか」
 狭也は言葉がみつからないまま、科戸王をみつめた。剣の巫女であることから、逃れることができるかもしれないと、考えたこともなかったのだ。
「巫女であり、勾玉の主であることは、ゆずれるものではありません。ただの村娘だったなら、そもそも輝の方のお目に止まることもなく、あなたがた闇の人々もあたしをさがそうなどとは思わなかったでしょう」
 言いながら、王が嘆息するのをそわそわと落ち着かない気持ちで狭也は眺めていた。
「役目があったから、稚羽矢とも会えました。今ではそう思います」
 狭也は自分のずるさに後ろぐらいような気持ちになった。王の言いたいことは、わかる。役目を取り払ったあとに、ただの娘として稚羽矢をそれでも求めるのか、と問われているのだ。
「あの人は、あたしの夫になりました」
 どうしても王の目を見ることはできなかった。ややして、静かな声が小さい家に響いた。
「ちぎりを、結んだのか」
 狭也はうなずいた。顔があげられない。
「そうか」
 そのまま王はきびすを返すと、家を出ていった。
 あまりにあっさりしていて、狭也はいくらか拍子抜けした。
「まあ、まあ」
 顔を出した八田女は、頬に手を当ててため息を吐いた。
「あと二十は若かったら、あのお方をお慰めするのにねえ」
「かあさん、きゅうにいなくなるんだから」
 狭也は気の抜けた声で言った。
「あの方のお心はありがたいけど」
「おや、水をお忘れだ」
 八田女は狭也の手に竹の水筒を押しつけた。
「届けておくれ。さあ、はやく」
 もう、どんな顔をしていればいいのかわからないのに。母親は時として娘に酷なことをしいる。
「待ってください」
 狭也は垣のそばの道を歩いていた王に声をかけた。振り返った王は、堅苦しい表情をしていた。狭也は水筒と握り飯を差し出すと、小さな声で「お気をつけて」とつぶやいた。
 王は大きな手のひらでそれらを受け取ると、ささやくように言った。
「すまんな」
 苦い声だった。
「わたしはいつもそなたを、おそれさせてしまうようだ。そなたらが、真に夫婦になるということが、まったく想像できなくてな。少々驚いただけだ」
 王は、狭也の首筋に鼻をよせた。ほほに息がかかる。ありえない近さだ。
「たしかに、まぐわいのあとのにおいがする」
 晴天に遠く雷の音を聞いたときのように、狭也はぎくりとした。間近で見る王の目は、口調ほどには穏やかではなかったのだ。戦のさなか、倒すべき敵を前にしたら、このようなまなざしになるのだろうか。
(なんてお顔をなさるのだろう)
 狭也はもう娘ではなく、そのまなざしの意味も理解できた。わからないままのほうが、いくらかのんきでいられただろうに。
 苦しげに、一途に、こいねがう目。
 妻問いの宝よりも歌よりも、まっすぐに胸に響くもの。もう少し見合っていたら、触れられたなら、拒みとおすことができるかどうかも怪しかった。そう考える自分もこわかった。
「あの」
「まあいい。行ってくる」
 王の背中を、途方にくれた気持ちで狭也はみつめた。
(どうかしている)
 お門違いとわかっていても、母をうらみたい気分で、狭也は道の小石を蹴った。

 
 | HOME | Next »