祝言の日まで11

2011.03.07.Mon.20:01




「姫が宮へ行っただと」
 我が耳が信じられず、もう一度聞き返した。一人娘はまだ稚い。だから館にずっと籠めおいて、ほかの豪族の娘たちのように宮に出すことはしなかった。
「なぜだ」
「あらたな大王が后を求められているらしいという話が、姫のお耳に入ってしまいました。もしご自分が参上しなければ、父王が不興をかうのではないかと、急いでお出かけになったのです」
 気分の悪さをおして床から起きあがると、主人を気遣うようにおずおずと家人が言った

「お知らせくださったのは、山城方です。あの、お気遣いだったかと」
「気遣いなものか」
 礼儀もしらない娘が、公の席で恥をかけばいいとでも思ったのだろう。怒りで体中が震えた。立ち上がると、目がくらみ額から汗が吹き出た。
「お体を起こされては」
「我が娘が侮られるのを寝床で見ていろというのか。山城の狸のやりようなど、昔からよく知っておる。にこやかな面の下に、みにくいたくらみを隠している。なぜすぐに知らせなんだ?」
 問わなくてもわかっていた。知れば、館を出ることを絶対に許さなかった。娘はそれを十分承知の上で、皆に口止めをしてでかけたのだろう。
「ではお召し替えを」
「いらぬ」
 身を整えることなど考える余裕もなかった。そもそも、地上にはすでに葛木王が礼を尽くすべき人がいないのだ。そう思うと、胸が痛んだ。
 館の外に出て、我が目を疑ったのはそんなときのことだ。
 雪の振りつける中、白い衣袴を身につけ、腰には太刀をはき、きりりと角髪を結い上げたその姿をみたとき、こみあげたのは安堵と喜びだった。
 いっさいのケガレを打ち払う戦装束は、まさに照日の御方のものだった。
 お戻りになったのだと思った。民を、わたしをお見捨すてになられるはずがないと、心のどこかで信じていたのだ。
 しかし、思いあまって近づけば、かの方とは似ても似つかぬただの娘だった。肩に大烏をとまらせ、大王の名代と名乗った。
 なにが大王だ。そんなものは知らぬ。
 主は照日の御方ただおひとりなのだから。
 すぐに鞍替えをした山城のように、そう簡単に心は変わらない。
 葛木の首長となったのは十五の時。鏡をいただいてすぐのことだ。それからずっと照日の御方に仕えてきた。
「葛木王」
 物思いを、娘の声が覚ました。似ても似つかぬものなのに、柔らかいが芯のある声はなぜか照日王を思い出させた。葛木王はざわめく者たちを静まらせた。
 改めて娘に目をやると、どこかで見覚えがあるような気がした。
「戦は終わりました。お二人は、末の御子にこの国を託されたのです」
 飲み込んだつばはひどく苦かった。
「託したと」
 葛木王ははき捨てるように言った。
「豊葦原の隅々まで、闇をはらうために働いてきた。それが、今さら手を取り合えるとは思えぬ。殺し合いを重ねてきたこの手を、そなたは取れるのか?」
 戦は終わり、かの方は天の宮に移り住まれた。最後の最後で尊いお姿を見失い、あふれかえるまばゆい光のなか、絶望と恐怖にひれ伏していることしかできなかった。
 まさか、お二方が地上を離れるときが訪れようとは、思ってもみなかったのだ。
「照日王に仕えてきたあなたが、すぐにはあらたな主をうべなえないのはわかります」
「なにがわかる。闇にくみする者など、大王とは決して認めぬ」
「わからずやね」
 娘は唇を結び、腰の太刀に手を伸ばした。そして引き抜くと、高々と掲げた。
「一度も会わずに、どうして認めないなんていえるのですか」
 太刀が飾りであることに、王はすぐに気づいた。本物を娘の手であのように軽々と振るえるものではない。
「お二人が天の宮にいらっしゃる今、あたしたちが敵として真向かうことをお喜びになるはずがありません。稚羽矢も、そんなことは望みません」
 そこで、思い出した。
 神殿にいた三番目の御子を連れ去ろうとした娘のことを。女の手では触れるのもためらわれるような長剣を両手でかまえて髪を振り乱したその姿は、正気とは思えなかった。しかし、月代王を見上げ、かの方をじっと見つめる一途な目は、そう恐ろしいものではなく、すぐそばで弓を放とうとしていた葛木王は困惑したものだった。
「そなた、闇の巫女姫か」
 飾り太刀を掲げる姿にはふしぎと圧倒されるものがあったが、同時にひどくおかしさを誘った。葛木王はひきつった顔でたずねた。
「戦いは望まぬ者が、なぜ太刀をふりあげる?」
 まっすぐな目で娘はみつめてきた。
「誓約のためです」
「誓約と」
 男の戦装束をまとい、誓約をするとはおもしろいことを考えつくものだ。
 誓約は占いのひとつだ。全く異なる二つのことがらの、どちらに神意があるかを判断する。
「闇と輝はこれからも戦い続けるのか、それともひとつに混じりあう日が来るのか」
 娘はよどみなく言い切った。
「天の神に申し上げます。輝と闇が戦い続けるならば、この剣を地に落としてください、そしてあたしの命は葛木王に差し上げます」
 葛木王は目を見開いた。
「輝も闇もなく一つとなり、新たな大王をもりたてて、さらに大きく、美しい豊葦原となる日が来るならば、この太刀を天の宮にお納めください」
「愚かなことを」
 誓約は絶対だ。この場にいる者は、その誓約が果たされることを見届けなければならない。ばかげた誓約だ。ものが下に落ちるのは当たり前のことなのだから。
 ほしくもない娘の命だが、誓約となれば謹んでいただくのがならいだ。
(死にたいのか)
 信じがたい思いで凝視すると、娘は葛木王にほほえみかけた。
 驚くべき事だった。死ぬかもしれない。それを承知で笑えるなど。その笑みを見て、なぜ胸が詰まったのか。
 娘は灰色の空を見上げ、目を閉じた。
 白い手から、太刀が落ちた。



 狭也が鳥彦とともに葛木の館を訪ねていることを、稚羽矢は知らなかった。
「なぜ狭也は黙っていたのだろう」
 稚羽矢は押し出すように言った。
「わたしが行くべきだった」
「そなたは忙しかった。それに、狭也には考えがあるのだ」
 科戸王のどこか冷ややかな視線を、稚羽矢はにらみかえした。王は少しだけ驚いたように眉を上げた。
「なぜ狭也を止めてくれなかった?」
「狭也が望んだからだ」
「・・・・・・行かなければ」
 稚羽矢は身をひるがえし、走るように室を出た。
「待て、稚羽矢」
 いやな予感がする。大王の名代として行ったのだから、そう危険なことはないだろうとわかっているのに。しかし、今まで大王の前に姿を見せない葛木王が、狭也を害しないとも確かにはいえないのだ。
 厩へ着いたところで、小さな驚きの声が聞こえた。
「大王、いずこへ?」
 稚羽矢は栗毛馬の鼻面をなでて、鞍もしないまま飛び乗った。
「お待ちください、外は雪です。そのままでは寒うございます」
 せかされる気持ちのまま、稚羽矢は声のする方に視線を走らせた。すると、毛皮ですっぽりと身を包んだ娘がいた。
 広間まで一緒に歩いた娘だ。髪をほかの娘のようにきつく結い上げず、背中に垂らしていたことと、目のわきに大きなほくろがあったので覚えていたのだった。
「あなたはどこへ行く?」
 稚羽矢はたずねた。そして、外から吹き込む風に身震いをすると、くしゃみをひとつした。外へ出るにはあまりに無防備かもしれない。
「わたくしは、里へ帰ります」
「これからか? すぐに暗くなるが」
「葛木は、そう遠くはありません」
 稚羽矢は声を上げた。
「あなたは葛木の姫だったのか」
 供とおぼしき若い男が、口をぽかんとあけたまま稚羽矢を見ていた。娘は男をたしなめると、小声で何かを言った。男は青ざめて、すぐに己の毛皮と雪よけの蓑を脱いで稚羽矢に差し出した。
「お急ぎのご様子。わたくしの族にご用がおありでしたら、わたくしに案内させてくださいませ」
「姫、わたしが」
「おまえは蓑を借りて後からきなさい。大王、わたくしの馬でともに参りましょう」
 毛皮と蓑を着せかけてもらいながら、稚羽矢は口を開いた。馬を見るまなざしはいとおしげで、いきいきとしていた。広間の印象とあまりに違うので、稚羽矢は戸惑った。
「あなたは」
「由津でございます。さあ、お乗りを」
 黒い駿馬は一目でそれとわかる良馬だった。由津は小柄な体をひょいと馬上にあげ、
手をさしのべた。そして、早口で一息に言った。
「さあ、お急ぎを」
 理由も聞かず、わがことのように真剣な顔つきをした娘の顔と、差し出された手を稚羽矢は見た。そして、うなずいた。
「お願いする」
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