筒井筒2~なんて素敵にジャパネスク

2012.02.26.Sun.04:00
 季節は初春のころだった。
 融と一緒に瑠璃さんの部屋をたずねると、ぼくはぎょっとしてしまった。御簾のうちにかしこまって、脇息によりかかった瑠璃さんは、言葉もすくなく物憂い様子だったのだ。
「一緒に遊べないや、ごめんね」
 ため息がこぼれる気配に、ぼくは落ち着かない気持ちになった。しらない人の部屋に無礼にもあがりこんでしまったような、居心地の悪さだけがあったんだ。
「風邪? つらいの」
 よせばいいのに、ぼくも聞いてしまった。すると瑠璃さんは、すこうしだけ笑った。
「瑠璃は一人前の女なの。もう、遊べないのだって」
 ぼくは殴られたような気持ちで、「あ、そう」と言った。融はあっさりしたもので、すぐに部屋を下がって渡殿のほうからぼくを呼ぶ。
 ついこの間まで、大納言家の広大な庭が狭く感じられるくらい、昼から晩まで駆け回って一緒に遊んでいた人が、そんなことを言う。ぼくはなんだかひどく腹が立って、それでも懐に忍ばせたものをふと思い出して、口をつぐんだ。
「高彬、もそっと、こっちにおいで」
 ささやき声がした。御簾の下の方をほんの少しだけあげて、瑠璃さんの小さな手がぼくを招いている。ひどく戸惑って、すこしこわいような気持ちさえして、ぼくは身を引いた。
「ねえったら」
 じれたような声がして、御簾の向こうの人がすっくと立ち上がった。ぼくはきびすを返して逃げ出そうとしたけれど、運悪く半尻のすそのほうをつかまれてしまった。振り返ったぼくは、目をみはった。
 髪がじゃまだと言って、いつも前髪をさっと耳ばさみにしていた人が、きれいに髪をたらし、残りは背中にすっと流している。それだけでもずいぶん感じが違うというのに、どこか恥じらうようにみつめられて、ぼくはなにも言えなくなった。今思うと、瑠璃さんは鏡のようにぼくの表情をうつしていただけかもしれない。
「ほら、なんて顔してるの。そんなに瑠璃と遊びたかった?」
 顔をそむけると、手に何かを押しつけられた。懐紙に包まれているのは、菓子だ。
「食べなよ。ちょぴっとだから、融には内緒。高彬、またおいでね」
 にこっと笑ったのはよく知った人の顔で、でも、もうわけもわからず恥ずかしくて、見かえすことなどできなかった。あいさつもそこそこに飛び出て、渡殿をぶらぶら歩きながら、ぼくはため息をついた。懐に手を差し入れて、しおれかけた一輪の花をつまみだすと、さんざん迷った末に瑠璃さんの部屋の前まで戻って、そっと花をおいたんだ。
 気配に気づいて女房がいざり出てくるまえに、ぼくはそっと柱のかげで息をころした。
 すぐに瑠璃さんの驚いたような声が聞こえた。わくわくしたうれしい気持ちは、でもすぐにしぼんでしまった。泣き声が漏れ出てきたのだ。晴れやかな空が急にかき曇り、ざあざあと雨が降るように、瑠璃さんは泣いている。おつきの人たちが必死になだめている。ぼくは何かとんでもないことをしでかしてしまった、泣かせてしまったと動転しきって、逃げ出した。
 なんだよ、泣くことないじゃないか。
 うちの庭に、菫が咲いていたんだよ。ちいさなかわいい花だったから、瑠璃さんにも見せたかっただけなんだ。
 それだけだったんだ。
 瑠璃さんの笑顔と、ひんやり冷たいような手の感触。そして、悲しみのままに泣く声を聞いて、胸が痛んだ。
 泣かないで、ごめんなさい。心の中で、何度も繰り返した。
 菫が、亡くなった吉野君との思い出の花だと知ったのは、ずいぶんあとのことだ。

 なんというか、ようするに。
 ぼくはたぶん、あの日、瑠璃さんを好きになったのだと思う。
 

 つつゐつの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに    伊勢物語 二十三段

筒井筒1~なんて素敵にジャパネスク

2012.02.25.Sat.04:00
ジャパネスクを一気に再読して、やっぱり面白かった!!
高彬の男ぶりがだんだんと上がっていく所に釘付けになりました。


2まで続きます。


 ぼくは手にした琵琶をぶん投げたい気分で、それでもにこやかにほほえみながら宴席をさがった。幸いぼくの出番はもうない。琵琶は得意だけれど、どうも今日は集中できない。
 だいたい、瑠璃さんがぜんぶ悪いんだ。
 もう十六にもなろうというのに、いまだに夢みたいなことを言っている。大きな目をぱっちり見開くようにして、あの人は二言目には「吉野君、吉野君」だもんな。
 どんなにがんばったって、死人と争えるわけがないじゃないか。
 ぼくとの約束なんて、すっかり忘れているあの人が憎いよ。
 官位も受けたいまとなっては、責任もある。あどけない童髪のころに戻りたいわけではないけど、心が塞ぐような感じにため息が出た。官位とか、結婚とか、考えなくてもよかった頃がなつかしいのはたしかだ。 
 今日は瑠璃さんと権少将を引き合わせる宴が、大納言どのの屋敷でとり行われていた。権少将は、好きじゃない。はっきり言うとろくでなしだ。
ろくでもないやつが殊勝な顔できざはしの下に寄り、瑠璃さんのいる御簾内にじいっと目をこらしているのを見てしまうと、わけもない怒りがこみあげて苦しくなった。琵琶を弾じる撥を持つ手がふるえて、いささか強すぎる音が出てしまった。
 宴席を下がったのは、それを恥じたせいもある。

 瑠璃姫は、大納言藤原忠宗どのを父とする深窓の姫君であり、けれどずいぶんと気安い人でもあった。深窓の姫君だなんて、言っているほうがむずがゆくなるってものだ。あの人は、おとなしく御簾のうちにおさまっているような女性ではない。
 瑠璃さんとぼくは幼い頃からよく一緒に遊んだ、いうなれば筒井筒の仲である。竹が伸びると節目が刻まれるように、大人になろうとその思い出は消せない大切なものなのだった。少なくとも、ぼくにとってはそうなのだ。
 この気持ちが恋なのかと問われると、ちょっと判別しがたい。なにしろ、はじめてだもの。
 ・・・・・・ともあれ、「ずっと一緒にいる」という幼い約束をしつこく覚えているのはこちらのほうだけで、どうにかして思いを伝えようとしても、ことあるごとに吉野君を引き合いに出されるんだから、たまらない。笑いながら「あんたもあの方を見習えば」などと言われては、平静ではいられないよ。
 重ねて言うけれど、百歩ゆずって見習おうにも相手はすでに亡き人で、しかも相当に美化されている。やりきれない。
「だいたい、高彬が悪いよ。うちの姉さんのような人に、何かを諭そうなんて」
 瑠璃さんの弟で、ぼくの親友の融は、あきれたように言ったものだった。
「殴られるにきまってるじゃないか」
 たぶん、ふつうの姫は、人を殴ったり、几帳をけっ飛ばしたり、碁石を振りかぶって投げたりはしない。
「高彬はすこしおかしい」
「なんだよ」
 ぼくは不機嫌に聞き返した。融とは打ち解けた仲だから、なんでも言い合える。それでも、さも知った風にこういわれると、腹が立つ。
「姉さんのことだよ。弟のぼくが言うのもなんだけど、姉さんは女性として、どこか致命的に欠けているところがあると思うな。姫君としての慎ましさとかさ、そういうのがさ、一切ないじゃないか」
 碁石をひたいにぶつけられたことのあるぼくは、あやうく同意しかけて、踏みとどまった。
「瑠璃さんは、いい人だよ」
 融はフンと鼻を鳴らした。
「なんでまた姉さんのことが好きなの? 悪い人じゃないけど・・・・・・妻としてはどうかと思うよ」
 妻としてはどうかなんて、結婚してみないとわからないじゃないか。
 大切なのは、瑠璃さんがいくらか規格外の姫君で、口も悪いし暴力はふるうし常識なんて蹴り飛ばすような人だとしても、ぼくがあの人を好きだということだ。
 どうして好きなのか、はっきりとは言えない。それが歯がゆい。
 でも、いつ好きになったかなら、思い出せる。

 あれは、瑠璃さんがはじめて腰結に裳の腰を結んでもらい、大人の女性の仲間入りをした年のことだ。
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