「稚羽矢、なんでもうんと言ってはだめよ」
 帰り道、狭也はつぶやいた。
「わたしだって、なんでもうんと言うわけじゃない」
 稚羽矢にみつめられて、狭也は目をみはった。
「あなたを喜ばせたかった」
 それきり、足に根が生えたように立ち尽くしてしまった。狭也はため息をつくと、思い切って稚羽矢の手を取り、横道へそれた。丘の上の公園へと続く小道には、秋の草が揺れている。急な階段を先に立って登ったさきに、緑色のペンキのはげたあずまやがある。つたが絡まったベンチにかばんを置くと、狭也は稚羽矢を手招きした。
「ねえ、稚羽矢。あたしはね、あなたが好きよ」
「うん」
 憎らしいことに、稚羽矢は平気な顔で告白をうけとめた。
「わかっている? 好きというのは、ケーキが好きとか、子犬が好き、というのとは違うのよ」
「わかる」
 稚羽矢は笑った。
「わたしだって、あなたが好きだよ。あなたのそばにいると、うれしい気持ちがする。楽しくて、胸がどきどきする。あなたのそばにいたいと思う」
 狭也はきっぱりと言う稚羽矢を、ぼうっとしてみつめた。
「狭也?」
 彼の顔が近い。狭也は我に返って、咳払いをした。
「うれしいけど、あなたが見せ物になるようでいやだったの」
 思い出したくないのに、菅流の言ったひとことが頭から離れない。
 稚羽矢を独り占めにしたい。
 それは、胸の底にかくしてある狭也の本心なのだった。
 変わり者と思われている稚羽矢が、すこしでも注目されるのがこわいのだ。二人の間に誰かが割り込んでくるのがいやだなんて。
「あなたの驚く顔がみたかったんだ」
 どこか不安だったのだ。
 稚羽矢が狭也の預かり知らぬ所で何かをするということが。
 でも、よくよく考えれば、狭也は稚羽矢の母親ではないのだし、彼だって狭也にそんな役目をもとめているわけではないのだ。
(あたしは、この人のことをなんにも知らない)
 女子の装いで目の前にたたれたとき、それがわかった。
 稚羽矢は今までどこか閉じた殻の中にすんでいるような人だったが、周りからの働きかけを無視しているわけではない。
(守っているんじゃない。これはあたしのわがままだわ) 
「ねえ、稚羽矢。文化祭、あの姿で出てみたらいいわ」
「・・・・・・狭也は怒るだろう?」
「怒らない」
 どんな顔をしていいか稚羽矢はわからないようだった。思わず狭也は吹き出してしまった。一度笑い出すとなかなか止まらない。
「何がおかしいの」
 稚羽矢はふてくされた顔で言った。
「よくわからない。だめと言ったり、いいと言ったり」
「何かしてくれようとする、その気持ちがうれしいのよ」
「そんなことが、贈り物になる?」
 狭也は言いにく思いながら、つぶやいた。
「じゅうぶんすぎるくらいよ。あたしたちが会った頃を思い出したの。そのときと比べたら、あなたは本当に別人ね」
「そう?」
 稚羽矢はほほえんだ。
「あなたがいると、わたしはもっともっと変われそうな気がする。あなたが気に入るかはわからないけど」
 

 

 

 

 
 呼び止められて振り返った狭也は、見慣れぬ女子生徒をまえにして目を丸くした。くせのない真っ黒なストレートの髪は、背中まである。白い顔に大きな目、ほほえんだ唇をしている。気後れするくらいだった。
「あの・・・・・・」
「狭也」
 聞き慣れた声に、狭也は思わずじっとその人を見つめた。
「わたしだよ。わからないの?」
「ち、稚羽矢なの」
「うん」
「うんって、どうしてそんな格好をしているの」
 うわずった声で狭也は言い、手を引いて廊下のはじに身を寄せた。
「うーん」
 首を傾げる仕草さえ、かわいらしい。整った顔立ちをしているということはわかっていたけれど、女装がここまで板に付いているとなると、産まれてこの方女子を名乗っている自分が恥ずかしくなるくらいだ。
「わからないけど、こうすれば狭也が喜ぶといわれて」
「誰にそう言われたの」
 なんとなく、想像はつく。
「すが」
 稚羽矢が言いかけたちょうどそのとき、廊下の向こうから走ってくる人がいた。生徒の間を器用にすり抜け、菅流は二人の前で立ち止まった。
「ここにいたか。ほら、戻るぞ」
 稚羽矢の腕を無造作に引くが、このままいかせるわけにはいかない。
「やっぱり。先輩ですね。稚羽矢にこんなことをするなんて」
 三年とはいえ、親戚でもある菅流は兄のような存在だ。
「聞いていないのか?」
 菅流はにやりとした。
「こんどの文化祭で、学校いち女装が似合う男子をだな・・・・・・」
 稚羽矢の手を引いて、狭也は歩き出した。そんな妙な催しに稚羽矢をだすわけにはいかない。本人がよくよく承知しているのならまだしも、自分が何をしているのかもイマイチよくわかっていない稚羽矢に女装をしいるなんて、あまりに人が悪い。
 狭也は稚羽矢をかばうように立って、菅流を睨みあげた。気圧されたように菅流は顔を引いた。
「だめです」
「どうして」
「だめなものは、だめです!」
 菅流は唇をゆるめた。
「狭也は稚羽矢を独り占めしたいんだな」
「そういうことじゃないわ」
 稚羽矢のほうをちらりと見ると、彼はじっと狭也を見返した。
「狭也?」
「そ、そういうことじゃありません!」
「そういうことって、どういうこと」 
 咳払いをした菅流は、声を潜めた。
「おまえが大好きなんだと」
 頬がかっと熱くなった。背をむけかけた狭也の腕を、稚羽矢がつかんだ。
「狭也、待って。わたしは、どうしたらいい? 狭也が気に入らないなら、やめるよ」
 菅流の落胆の声が聞こえたが、かまう余裕はなかった。
 振り返ると、稚羽矢は困ったように眉をよせていた。
(稚羽矢・・・・・・)
 たしかに、かわいい。そして、うつくしい。
 かわいい人はたくさんいるけれど、うつくしさも兼ね備えているとなると、そうはいない。狭也の目の前にいる女子は、百人が百人とも文句をつけないだろう完璧な美少女だ。
(稚羽矢が優勝しないわけがない)
 彼に出てほしくないと思うのは、菅流の言うとおり、稚羽矢が大勢の人に注目される機会から遠ざけたいというわがままなのかもしれない。 

 

 

 

 
 朝、下駄箱に入りきらないくらいの袋やら箱が、ぎゅうぎゅう詰めになっているのを見て、阿高は靴を片手にしたまま呆気にとられた。
「おれの靴入れはいつからゴミ捨て場になったんだ。いやがらせか」
「それはチョコレートという食い物だぞ。ありがたくもらっておけよ」
 藤太は平気な顔で、あふれて落ちたのをかばんに入れている。
 それくらい知っていると言いかけて、阿高は頬をひきつらせた。いつになく、異様なくらい熱い視線を感じる。すぐそこの柱のうしろや、ロッカーの影。女子が固まっているところなどは、見たらまずいことがおきそうだ。
「なあ藤太、これなんか、名前も書いてない。だれがよこしたかわからないものなんか、気持ち悪くて食えるもんか」
 藤太は顔を寄せて阿高に耳打ちをした。
「女の子はこわいぞ。そんなことが耳に入ったら、何をされるかわからない。ここは、にこにこしてもらっておけ。ほら、かばんに入れちまえ。さっさと教室に行こう」
 阿高はうんざりした。
「くそ、面倒くさい」
 二月十四日がなんだ。バレンタインデーがなんなんだ。正真正銘、男子受難の日じゃないか。
 トイレに行こうとすると、いつのまにか女の子がついてくる。入ったはいいが、どうにも出るに出られない。ハンカチなど持たないので濡れた手をぱっと払って廊下に出たところ、うつむいた女の子に花柄のちいさなタオルを渡されそうになったのも、だいぶ困った。
 いすに座れば、扱いに困るくらいの手紙やらリボンのついた箱がいつの間にか机に押し込まれている。数学のノートが奥の方でおれ曲がっていた。ちなみに昨日おろしたばかりの新品。阿高はあまりに腹が立ったので、邪魔なものをぜんぶゴミ箱に捨てた。
 いくらかすっとしたが、そのあとはすすり泣きやらとがめる視線にさらされて、正直まいってしまった。
(なんなんだ)
 藤太がうまくあしらっているのを見ると、感心してしまう。
(疲れる)
 机に頬杖をついて、藤太が愛想良く笑いながら何個目かのチョコを受け取るのを眺めながら、阿高は深いため息をついた。
(チョコレートなんて甘いだけで、そんなにうまくもないだろう)
 頬を染めて差し出されても、こちらは困るだけだ。なんて言ったらいいのかもわからない。藤太のように「ありがとう」とにっこりほほえむなんて、阿高にはとうてい無理だ。思うだけでうんざりする。
 チョコレートは気持ちだというが、どうにも重たく感じるのだった。もらったら、気持ちを返さないといけないと思うから、面倒なのかもしれない。知らない相手から向けられる気持ちに、どうやって笑顔や感謝を返せばいいのだろう。さっぱりわからない。
「よお、なんだ。そのつらは」
 広梨が上機嫌で阿高の背中をたたいた。受難どころか福音を受け取ったような顔つきをみて、阿高は鼻を鳴らした。どうせのこと、隣の組の彼女から手の込んだのをもらったのだろう。うらやましくはないが、これだけにやついた顔をされると腹が立ってくる。
「今日という日を恨んでいたんだ」
「そんなことを言ったら、ばちがあたるぞ。こんなに女子の気持ちを集めておいて」
 藤太がゴミ箱から拾い上げてきた色とりどりの箱を、阿高はにらんだ。
「知るかよ。いらないものをいくつ集めたって何になる」
 阿高の頭を押さえつけ、広梨は小声で言った。
「なら、いい方法を教えてやるよ」
「いい方法?」
「おまえの隣があいていると思うからこそ、女の子はがんばってこの日にかけているんだぞ。それを忘れるなよ。本命がいるとわかれば、あきらめるだろう」
 広梨は笑った。
「そうなれば、おまえのところで腐る運命の哀れなチョコが、そっちこっちに回るだろう。いいことずくめだ。いいか、はやく好きな子をつくれよ。そうしたら、来年はきっと静かなものさ」
 阿高はもう答える気もなく、机につっぷした。

 千種と待ち合わせて帰るという藤太をさっさと置いて、阿高は帰り道を急いだ。途中で雨が降ってきて、それでもいくらか肩が濡れたくらいで馬房にすべりこむと、息をついた。
 栗毛の馬の鼻面をなでると、ぶるると口を震わせる。阿高は思わずほほえんだ。
「阿高? 今日は早いのね」
 その声を聞いたとき、どうしてぎくりとしたのかわからない。灰色のつなぎを着込んだ小柄な姿は、どうみても高倉のお嬢様には見えない。頭をくるむように巻いた色のあせた青いバンダナは阿高のものだった。
「鈴、また来てたのか」
「毎日だって来るわ。だって、おもしろいんだもの」
 鈴は腕まくりをした手で鼻の下をこすった。
「わらはちくちくするけど。あ、帰るときは声をかけてね。阿高ったら、この間はいつのまにか一人でいなくなってしまうんだもの」
「ああ、わかったってば」
 阿高は落ち着かない気持ちで手を振った。できれば、すぐにでも帰りたい。どうしてそう思うのかわからないまま、阿高はコートを脱いだ。すると、内ポケットから何かが落ちた。
 いつから入っていたのだろう。ピンクのカードがぬれたコンクリの上にぺたりと張り付いている。
「もらったの?」
「いいよ、そんなの。どうでもいい」
 鈴は手袋を取って、カードをつまみあげた。そして、阿高をにらんだ。「どうでもよくないわ。すきって書いてあるもの」
「・・・・・・押しつけだ、そんなのは」
 いらだちがこみあげてきて、阿高は鈴をにらみ返した。
「この日は何をしても許されるって言うのか? 相手の迷惑もかえりみないで、ただ気持ちを押しつけて、それを当然だと思ってる。おれは、チョコレートなんてきらいだ。大きらいだ」
 鈴は困ったようにほほえんだ。
「だって、今日言わなければ、いつ言うの? あなたのことが好きですって。ずっと好きだったのよ。それなのに、どうでもいいっていうの」
 阿高は、はっとして目の前の女の子をみつめた。
「わたくしだったら、悲しくなるわ。好きな人に、どうでもいいって言われたら、怒ります。阿高はふまじめよ」
 鈴から目をそらして、阿高は小さな声でうめいた。
「なんとでも言え。もうたくさんだよ」
「馬に蹴られたみたいな顔だな」
 おかしそうな声が向こうから聞こえた。顔をあげると、半分開いた戸から顔をのぞかせた田島が笑っている。
「茶でも入れてやる。まあ飲め、阿の字よお」

 田島がけっこうな甘党だということを、阿高ははじめて知った。かばんにぎっしり詰め込んできたチョコをテーブルの上にぶちまけると、田島と鈴は目を輝かせたのだ。
「こいつは、みごとだな」
 大きな丸いチョコを目を細めて眺めながら田島が感嘆した。
「きょうびの学生は高級チョコなんぞ贈るのか。たった一粒で何百円かはするぞ、まったく」
「すごい、阿高! もてるのね。これぜんぶ阿高の?」
 なぜか疲れが増したような気がして、阿高は息を吐いた。
「ぜんぶやるよ」
「本当にきらいなのね」
 阿高の前に湯気のたつお茶をおくと、鈴は隣に座った。
「どんなものをもらったらうれしいの?」
「そりゃあ、男子だからな。甘い口づけ・・・・・・」
「ちょっとおっさん、ほんとに勘弁してよ」
 うんざりしながら阿高は顔をしかめると、きゅうに静かになった鈴を見やった。
「どうした」
「そういうのがいいの?」
 じっと見つめられて、阿高は思わずのけぞった。
「はっきり言え。正直が一番だぞ」
 正直も何もない。阿高は軽くなったかばんをつかんだ。
「悪いけど、今日は帰るよ」
 飲み終えたカップを流しにおくときに、変なものが目に入った。箱から出されたばかりといった感じだ。チョコレート、ではあるが、大きなハート型のうえに緑のペンでわけのわからない生物が描いてある。
「これ、なに?」
 どうにも気になってきくと、田島は鼻で笑った。
「正直者にもたらされる褒美だ」
「はあ?」
 鈴がかけよってきて、にこっと笑った。
「それは、わたくしが田島さんにあげたチョコよ」
「この・・・・・・エリマキトカゲはなんだ」
 頬をふくらませて鈴は首を振った。
「これは、馬、よ」
 それはいいとして。
「おい、おっさんにやるチョコにラブってなんなんだ」
「いいでしょう」
 鈴は胸を張った。
「手作りチョコには必ずそうかくものなの」
 いくら阿高でも、その認識が間違っていることはわかる。
 どうしておっさんに渡して、阿高には何もないのか。
 そう言い出しそうになって、どうにもうろたえた阿高は、逃げ出すことにした。
「阿高! 待って」
 馬房にかけたままのコートを取りに戻ったところで、鈴が追いついてきた。阿高は無視してコートを着込むと、かばんを肩に掛けた。
「阿高」
 腕をつかまれて、ちらりと鈴をみやった阿高は、息が止まりそうになった。鈴は頬をあかくして、今にも泣きそうな顔をしていたからだ。
「なにが欲しい?」
 すぐには切り返せなかった。いつものんびり笑っているくせに、こんなせっぱつまったような顔を見たのははじめてで、ひどく驚いたのだった。
「阿高がほしいもの、教えて」
「どうして」
 ひどく間抜けなことを言っているような気がして、阿高は目を閉じた。
「どうしてって、意味なんてない」
 目を開けると、鈴はほほえんでいた。首をかたむけたとき、ぽろりと涙が頬をすべっていくところだった。
「あなたが好きなものをあげたいと思っただけ。それだけなのだけど。へんね」
 おかしくてたまらなくて、阿高は笑った。
 今日はじめて、心から楽しいと思えたのだ。うれしい気持ちで鈴の頭に手をやると、阿高はつぶやいた。
「もうもらったよ。おまえといると、おもしろい。それでいい」
 鈴は納得していないようだった。阿高は吹き出しそうになるのをこらえながら、付け加えた。
「なあ、あのエリマキトカゲ、おれも食っていいか? えらくでかいから、おっさんだけじゃ始末しきれないぞ」
「馬よ、阿高」
「はいはい」

 
  

 

 

 

 
「あの、どうやったらチョコというのは固まるの?」
 鈴はほっぺたにチョコレートをつけたままで、途方に暮れたようにたずねた。
「型に流したら、冷やすのよ」
 千種は鈴の顔を見て笑いをもらした。千種の家の小さな台所は、甘いにおいでいっぱいだった。
「このハート型、なぜ使わないの?」
 袋に入ったままの大きなハート型が目についたので何気なく聞くと、あわてたように千種は視線を泳がせた。
「いいの、これは、使わないから」
「藤太はハートが好きだって言っていたわ」
 こっそり味見をしたあと千種をみると、彼女のしろい頬がほんのり染まっている。
「藤太は千種のくれるものなら、なんでも喜ぶと思うけれど」
「鈴ちゃん、からかわないで」
 からかってなどいない。真実だ。
「ハートを使いましょうよ。好きだって言うんだもの、藤太が泣いて喜ぶ顔が見られるかも。それで、ラブとかスキとか書くの。そういうものでしょう、手作りチョコって」
「鈴ちゃん!」
 千種が声を上げた。
「あなたこそ、阿高にどんなのをあげるつもりなの?」
 目を大きくして、鈴は首を傾げた。
「阿高はいらないんですって」
「じゃあ、それは、だれにあげるの」
 やや戸惑ったように千種は言いよどんだ。
「ええと、田島さんとか」
「・・・・・・だれ?」


  

 

 

 

 
「付き合っているというより、おもりみたいなものだと思う」
 狭也は正直に言った。それを聞くと遠子はストローをかむのをやめて、納得いかないように頬杖をついた。駅前のファストフードの店内はこの時間帯にしてはすいていて、窓際の四人掛けを二人で気兼ねなく占拠できるのだ。
 大きな紙袋のなかにはきれいな包装をされた小さな箱がぎっしり詰まっていて、それが二つともなると、けっこう重たい。
 駅へ流れていく通行人を、見るともなしに目で追いながら、義理をはたすのも楽ではないと、狭也はため息をはいた。
 親戚のおじさんたちは明日という日をずいぶん心待ちにしている。買い出しの任務とそれを手渡すのは、ずいぶん前から女子の役目なのだった。おじさんたちは、義理も何もどうでもいいのだ。なにかもらえるのがうれしいのだろうけど。
 向かいに座った遠子は、首を傾げた。
「おもりって、どういうこと。あの人のことを好きじゃないの」
 稚羽矢のことは、いまもってよくわからない。
 きらいではないけれど、好きだというのもどうも違う気がする。
 ただ放っておけない感じがするだけだ。
「それは好きだということよ」
 自信ありげに遠子は言った。同い年のいとこのことが、狭也は好きだった。象子よりずっと打ち解けやすいし、すっと懐にとびこんでくるような飾り気のなさが好ましいのだった。
「遠子こそどうなの」
 なんとなく聞き返すと、遠子は意外なことに、言葉につまってうつむいた。狭也は身を乗り出すと、遠子の前髪にふっと息を吹きかけた。照れた顔が見える。これは、どうやら、何かある。
 狭也はがぜん張り切ると、遠子の隣に座り直し、肩をぶつけた。
「好きな人ができたの?」
 蚊のなくような小さな声で、うんという。
「だれ? 教えてよ。ねえったら」
 遠子はぎゅっと目をつぶって、口を開いた。
「あの人」
「あの人って」
 こつんと、ガラスをたたく音がした。振り返ると、にっと笑った背高い人が二人を見下ろしていた。
「・・・・・・菅流?」
 遠子はとてつもなくいやそうな顔をした。ガラスごしに菅流を振り仰いだ遠子は、ため息をはいた。
「象子じゃあるまいし。あんな人を好きになったら、いつも心配してなきゃならないわ」
 菅流の隣には、知らない女の子がいる。相変わらずだ。手を振って菅流が行ってしまうと、狭也は聞き直した。
「じゃあ、だれ?」
「あのひとだってば」
 こつこつと、またガラスをたたく音がした。振り返ると、知らない男子が愛想良く笑っていた。すぐそばにもう一人、やけに不機嫌そうに顔をしかめた紺色のコートの少年が、早く行こうと言いたげに、腕を引っ張っている。
「この人たち、知り合い?」
 遠子はあいまいに笑った。
「そうみたい。竹芝の人たちよ。ほら、馬の」
「馬!」
 狭也はあきれ驚いて声を上げた。高倉と橘の披露宴に、栗毛の馬に乗って現れた少年のことは何度も聞いた。苑上を連れて颯爽と会場をあとにした手際は迷いもなく見事で、それは余興に違いないということになっていたのだった。
「紺色のコートのほうが、苑上さんをさらったのよ」
 遠子はため息とともに言った。
 てっきり愛想のいいほうが苑上の相手にちがいないと思っていた狭也は、すこし意外な気持ちがした。まったく冷めた風のまなざしをした少年が、気にかかる誰かを大勢の中から連れ出す熱を持っているようには見えなかったのだ。
「狭也にもみせたかったわ、わたしの背丈くらいはある垣根を、飛び越えたのよ。二人も乗せた馬がね」
「興味がなさそうなのに・・・・・・。見かけによらないものね」
 人通りが一瞬たえた外を、狭也はながめた。
 もしかして、澄ました顔をしている人ほど、うちに秘めたものは火傷をしそうなくらい熱いのかもしれない。
(稚羽矢)
 まっすぐにみつめてくる目に浮かんだ、焦りといらだち。きっと、稚羽矢は気づいていないだろう。そんな目でみつめられて、いやだと言える人などいやしない。狭也の拒絶など、すがるようにのばされた手のまえでは、枯れた小枝でつくった柵よりももろいものだ。稚羽矢がほしいと言うものを、乾いた人が水を欲するように求められて、いやだなんて言えるはずがないのだ。
「狭也は、あの人が好きなのね」
 遠子は静かに笑った。
「あたしは・・・・・・」
「狭也をみていると、わかる。おもりだって、いいじゃない。すきなら、そばにいられるなら、そうしたほうがいいわ」
 遠子は立ち上がって、袋をつかんだ。
「帰ろう。それで、お役目を果たしたら、一緒につくってみよう」
「何を?」
 狭也は面食らってたずねた。
 どこか大人びた顔で、遠子は笑った。
「義理じゃないほう」  

 

 

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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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シンイ



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