日差しのまぶしさに目がくらむ。
 青い空には雲もなく、夏の海はおだやかに潮騒をひびかせている。
「どう考えても、分が悪いな」
 パラソルのした、うんざりした藤太の言いように、阿高はうなずいた。
「あっちは64、こっちは30ちょっとだ。まあ、すこし考えても勝ち目はない」
「いいえ、負けません!」
 フラッグを砂にざん、とさした鈴は、胸を張って声を上げた。誰のものか、麦わら帽子が風にとばされていく。
「阿高、ウオームアップよ。休んでいるひまなんてありません」
 声の主のほうは、絶対にみられない。見たら最後だ。
 阿高の反対を押し切って、目も当てられない水着を選んだ鈴は、どういうわけか知らない子のようでまともに目も合わせられない。
「おまえ、それを着るくらいなら、おれはもう口をきかない」
「どうしてですか? 似合わない?」
「そういう問題じゃない」
「きらいなの?」
「だから、そういうことじゃ」
「じゃあ、いいということ」
「・・・・・・勝手にしろ!」
 というわけで、本当にかんべんしてほしい超ビキニに、うすでのパーカーを羽織っただけの姿で鈴は砂浜に立っている。
「最初から負けると思っているの? もとはといえば、阿高が言い出したことなのに」
「知るかよ。砂浜で騎馬戦なんて提案、だれも乗るはずないって・・・・・・」
「日下部のやつらは、勝つ気でいるよ」
 藤太がためいきをこぼしながらうめいた。
 竹芝と日下部、合同の海水浴で何も起こらない方がおかしいのかもしれなかった。若者たちは腕っ節にものをいわせる機会をのがすはずがないし、臆病者とそしられるのも不本意なのだ。
「竹芝は精鋭さ。負けやしないけど・・・・・・」
「女子が将というのが、大問題だよ」
 男子が馬になり、女子がその上で麦藁ぼうしのかぶとをかぶり、奪い合う。
(ほんとに、楽しいだろうな)
 うんざりして、阿高は吐き気すら催してきた。 
 こっちの気持ちなどしらないで、鈴はのんきなものだ。 
 浮き輪をわきに挟んで、阿高にびしっと言いさした。
「わたくしの馬になるのです、勝ちたいのなら」
 かんべんしてほしい。逃げられるものなら、そうしたい。
 でも、ほかの誰かが馬になるのもいやだ。絶対いやだ。
「・・・・・・あきらめてうんと言えよ。これは、運命だ」
 藤太は、心底からのあわれみをこめた目をして、阿高の肩をたたいた。
 その顔がほんの少しだけ笑いにひきつっていたのを、阿高は一生忘れまいと思った。
 

 

 

 

 

「赤い糸を、阿高は信じる?」
「なんだよ、気持ち悪いな」
 阿高は顔をしかめた。
「だから、運命の恋のことよ」
 どうしてあがりこんでしまったのだろう。荷物は玄関先において帰ればよかったのだ。
 修学旅行で見学したナントカという寺の庭のごとき枯山水を、阿高はとほうに暮れてながめていた。
「そんな話より・・・・・・」
 部屋にかけられた白無垢が気になる。
「これは、おばあさまのものです」
 知り合いに貸す予定があるのだという。
「二ヶ月前に知り合ったばかりで、結婚することになったんですって。それまで、一度だって会ったこともなかったのに」
 それで赤い糸か。阿高は茶を一口すすった。
「会ったその日に結ばれたんですって」
 むせそうになる。どういうことだ。
「どういうことって、一目見て好きになって、その日のうちに」
「いいから。言わなくていい」
 鈴がじっとみつめてくるのも気に入らない。
「約束したんですって。ずっと一緒にいようって」
 小指を差し出した鈴は、にっこり笑うのだった。
 結ばれた赤い糸。知らないわけではないが、これはある種の罰ゲームじゃないかとすら思えてくる。
 そっぽをむきながら、それでも小指を引っ込めない鈴を、このうえどうあつかったらいいのかわからずに、阿高は立ち上がった。
「どうしておれが」
 指切りげんまんなんて、ばからしい。帰ろうとして、衣紋かけに足がひっかかった。あっと思ったときには、白無垢とともに鈴の上に倒れこんでしまったのだった。
 

 

 

 

 


 長櫃をあけ、ごそごそさがしものをしている鈴を見かけて阿高は声をかけた。
「どうした?」
 手を止めて顔を上げた鈴は、頬を染めていた。
「なんでもありません」
 視線をうろうろさせるのが、あやしい。
「おまえがなんでもないというときには、たいてい何かあるんだ」
「わたくしを信じないの?」
 阿高は鼻を鳴らした。びくっとするところが、なおあやしい。
 桐の長櫃には着物がしまってある。半分は阿高の冬着で、もう半分は鈴のものだった。竹芝にかえってしばらくは、着古しをわけてもらい、過ごしていたのだった。
「お下がりじゃないものも、欲しいだろう」
 着物の一枚くらい、なんとでもしてやれる。
 鈴は首を横に振った。
「これをね、解こうかと思っていたの」
 それは薄い紅色をした冬の衣だった。気に入って、ずいぶん大切にしていたのを知っているだけに、阿高は首を傾げた。
「解いて、どうする?」
 うつむいた鈴は口も聞かない。しばらく見下ろしていた阿高は、思い当たることがあって、急いでしゃがみ込んだ。
 手を取られた鈴はびっくりしたように目をみはった。
「もしかして、あれか。あの・・・・・・例のあれ、なのか?」
 見つめ合うと、鈴はとうとつに吹き出した。阿高の手を、鈴は自らのはらにあてた。ふくらんでもいない。ぺったりしている。信じられない。
「ほんとうか?」
 阿高は、祈るような気持ちで念をおした。
「・・・・・・はい」
 鈴はやさしく、けれどじつに頼もしく笑んで見せたのだった。
  

 

 

 

 

「食えよ」
 藤太がさしだした握り飯を、阿高はためらいながら受け取った。
「どうしたんだ、腹がへっているんだろう。食えよ、食え」
「うるさいな、食うよ。言われなくても」
 いびつな握り飯だ。一口ほおばると、なぜかじゃりっとする。
 砂か? ・・・・・・砂だ。
 水でなんとか飲み下すと、阿高はため息をついた。
 牧へきたのは久しぶりだった。
 遠くでまだ馬のたてがみをなでている鈴を、阿高はながめた。
「なんで握り飯に砂がまじってるんだ」
 藤太が顔をしかめた。阿高は苦笑いをかえした。
「こんど作るときは、握る前に手を洗えと言ってやれよ、阿高」
「まあ、石が入っていないだけましだよ。食えないこともない」
 こうした穏やかな日々が戻ってくるなんて。まだ時々信じられない思いがする。
 自分の信じてきたこと、属してきた世界が崩れていく音を、いつだったか阿高は聞いたことがある。
 ただ立っていることすらむずかしく、強すぎる風にしゃがみこんでしまいそうになって、途方にくれた。
 すべてのものを遠ざけて、つらさを忘れて、眠ってしまいたかった。
「阿高!」
 こちらに手を振る鈴のすがたを、阿高はながめていた。
 竹芝にこうして戻れたのは、鈴がいたからだ。
 小さな叫び声がした。馬面がとつぜん振り向いて、鈴の背を押したのだ。つんのめった鈴は、転んだというのにまだ笑っている。 
「どじだな」
 藤太が笑った。
 もしかして、鈴がいなければ、こんなふうに再び竹芝に戻ることはなかったかもしれない。戻れたとして、これほどもとのようになじめたかどうか。
 癒えなかった焦り、寂しさは、いつのまにか消えていた。
 名残はある。傷跡も残っている。しかし、まあたらしい喜びがいつも生まれ、阿高の胸をみたしている。
 阿高はさいごの一口をほおばると、指をなめつつ鈴のもとに駆けだした。 

 

 

 

 


 その日はもてなしの準備で朝から忙しかった。
 忙しいというのはいいことだ。
 変わっていくものを惜しむさびしさを、まっこうから見ずにすむ。
「はやいものね。あの子がお嫁にいくなんて」
 千種のしんみりした声音に、鈴はただうなずいた。
 息子と娘に恵まれて、それから何年たったことだろう。
 竹芝の土地への親しみは年をおうごとに深まっていく。ともに暮らす人たちと泣き笑いをするたび、鈴も竹芝の景色になじめるような、そんな安堵と心地よさがあった。

 ひるまえに、鈴は阿高をようやくみつけた。
 少し離れたところからみてみると、ひょろりとした阿高はあのころと変わらぬように見える。
「阿高」
 名で呼びかけると、はっとしたように阿高は振り返った。目の下にくまができている。
 ゆうべは何度も寝返りを打っていた。眠れなかったのかもしれない。
「さびしいの」
「うれしくはない」
 嫁にやるのが悲しいと、正直に言わないところが阿高らしかった。
「・・・・・・でも、さらわれるよりはましかな」
 顔を見合わせると、阿高はひきつった顔でほほえんだ。
「わかってるよ。情けないだろう。あいつが行くのは、となりの郡だ。一生顔を見られないわけじゃない」
 しょげた阿高を、鈴はなにも言わずにそっと抱きしめた。
 

 

 

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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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