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2013.02.14

迷惑なみやげ

 春がきた。
 武彦は、村のはしに流れる小川のあたりで、話し声を聞き止めた。
 川向こうの里からみやげを持たされて帰ったところだ。
 芽吹きをまつ桜の古木のかげに、あるじの姿が見える。おそらくそのそばには、ただひとりの想い人がいるのだろう。
「ごめん、遠子。機嫌を直してよ」
 まただ。謝るほどのことでもなかろうに、軽々しく頭を下げすぎる。
 地位を手放したとて、武彦にとってはまほろばの皇子であることにかわりはない。
「もうしないよ。きみを無視したわけじゃない」
「約束よ。二度としないで」
 しかりつけるような声音だ。
「あなたがどんな危険なことをしたか、胸に手を当ててよく考えてごらんなさい」
(いやはや。遠子どのは命にとって希有なお人だと、わかってはいるが)
「なぜ一声もかけていかないの。みながどんなに心配したか」
 幼い頃から共に暮らし、かの方にとっては何人にも代え難い宝でもある遠子姫。寵愛をかさにきるというのとはちがう。彼女にとっては、かの方は肉親であり、恋人なのだ。
(遠子姫といるときだけ、ふつうの若者の顔をなさる)
 命の横顔は、困り切っている。しかし、どことなくうれしそうにもみえるのだった。どんな言い合いも、睦まじくみえる。それは何よりのことだ。
 盗み聞きもあるまい。背を向けて去ろうとしたとき、ふてくされた声がひびいた。
「大げさだと思うよ、遠子は」
 命は続けて言った。
「ぼくは子どもじゃないし・・・・・・山のことはきみよりよく知っている」
 姫の言い分ならば、たいていは笑って受け入れるお方が、反論をくりだした。興味がおこり、武彦は足を止めた。
「ぼくだって、死にたくはないんだ。ただ、試したかったんだよ」
 死ぬなどとは、穏やかではない。
「ずっと苦手だなんてしめしがつかないだろ。そういつまでも隠してはいられない。ぼくが突然悲鳴を上げて泣き出したり、気を失ったりしたら、皆がどう思う。病になったか気が触れたかと大騒ぎになるよ、間違いなく」
「小倶那」
 しばしの沈黙のあと、遠子姫がちいさな声でささやいた。
「だからって、一人で探しに行くなんて、むちゃよ。あなたに何かあったら、わたし」
 衣擦れの音がした。
「心配させて、ごめん」
 枯れ枝のかげが地に落ちている。二つの人かげが一つに重なり、しばらくの間じっと動かなかった。
「悲鳴を上げても、気を失っても、それがなんだというの? それを謗るような人たちが、ここまでついてくるかしら?」
(そのとおりだ。命がなにをおそれておられるのかは思いもつかぬが)
 そばを離れられるくらいなら、とうの昔にそうしている。
「欠点のない人なんていないわ。どんなきれいな鏡だって、曇りがあるものよ。あなたが完璧に振る舞いたいのもわかるけれど・・・・・・あなたはもうあなたでしかないのよ。だれかの身代わりでもない」
「ぼくは、自信がないんだ」
 うめくような声がした。
「武彦たちを信じていないのじゃない。とんでもないよ。彼らには心から感謝している。なんて言ったらいいだろう。ぼくが、ぼくを疑っているんだ。心のどこかで、まだ自分を疎んじている。傷のない玉のように高く見積もって接してくれる武彦たちに、すきのない人物であるように見せたいんだ。・・・・・・これは、よくないことかな」
「しかたのないひとね」
 遠子姫は、なだめるように言った。
「好きよ。あなたの全部が好き。いいこと、これだけは知っていて」
 悩みも苦しみも、すべてを溶かすだろう一言だ。
 命が遠子姫を一途に愛する理由が今こそわかったような気がして、武彦はそっときびすを返した。
「あら、戻られたのね」
 小石を踏んだ音で気づかれたか、遠子姫が木のかげから顔を出した。命が決まり悪そうにこちらを見ている。目を合わせないように、武彦は咳払いをした。ずいぶん気まずい。
「今さっき、戻りました。川向こうの長どのから、そのう・・・・・・珍しい品をいただきまして」
 聞かなかったことにするべきだ。あるじが隠そうとするものを、あばいていいという法はない。
「そうか、長どのはお元気だったか」
 こころなしか命は赤い目をなさっている。まさか、泣くほど苦しんでおられたのだろうか。武彦は息をのんだ。
「精のつくという秘蔵の酒をくださったのです。こちらでは、とくに珍しいものではないようですが・・・・・・くちなわを酒につけて」
 竹筒を差し出すと、命の顔色がさっとかわった。
「く、くち・・・・・・」
「ただの蛇ではなく、毒長虫をつけ込むとは、まことにめずらかですな」
 しいて明るい声で述べると、命は腕で顔を覆い、一足二足後ずさりをした。くぼみに足を取られ、ひっくり返ったあるじに、武彦は驚きあわてて駆け寄った。
 なんたることか、気を失っている。勇猛果敢な、かつてのまほろばの将が。見えない敵に、どうと体当たりでもされたかのようだ。
「いったい、何が起こったのです」
 動転して、遠子姫を凝視するも、姫もまなこをまん丸に見開いていた。
「・・・・・・この人をおぶってくださる? 話はそれからです」
 姫は深いため息をつき、肩をおとしたのだった。
 
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2013.02.06

拍手お礼

拍手ありがとうございます!

りんこさん作の 風神秘抄人物相関図をアップしました。
すばらしいです。
見ていると新たな発見があり、再び風神を手に取りたくなります。
未読の方も、物語世界に興味をそそられる相関図だと思います。
りんこさん、掲載させていただきありがとうございます!


はやいもので、もう二月になってしまいました。
周辺がいろいろばたばたしていますが、拍手やいただいたコメントに元気をもらっています。

ほんとに不思議なもので、疲れ切って「もうだめだ~」となったときに、「がんばれ」と温かい言葉をかけてもらえると、「よし! やるか」ってなるものなんですね。
本当にありがとうございます。

一品妃のお茶に拍手やコメント、ありがとうございます。
私の好きなものを詰め込んだ短編です。
韓風の世界観が大好きです。
今、ビチュイとホバクの孫(孤独な王子)が活躍する話を書いていますが、お目にかけることができたらうれしいです。


電子書籍「オロチの娘」にご感想をくださった方へ、お礼を申し上げます。
電子書籍の売れ線からは明らかに逸脱している感がありますが、
ありがたくも感想をくださる方がいらして、本当に励みになります。

当ブログにもヤマタノオロチという作品をのせていますが、白髪三つ編みのオロチが麗しい電子書籍「オロチの娘~妻問の夜」もぜひご一読いただけるとうれしいです。

至らない点が多々ありますが、すこしでも「楽しかった」「面白かった」と言っていただけるようなものが書けるように、気負わず焦らず書いていきたいと思います。




2013.01.15

言祝ぎ

 しろい乳房に吸いつく赤子を、狭也はいとおしげに眺めている。
「前に見たときより、ずいぶんしっかりしたわね。そう思わない? 少しみない間に、ほんとうに丸々と愛らしくなって」
 そう言い掛けられて、稚羽矢は戸惑った。前がどうだったかなんて、おぼえていない。あたたかそうな衣にくるまれた子は、いつだって誰かの腕に大事に抱えられている。抱いてみよと渡されるのを、稚羽矢はそらおそろしいような気がしてずっと遠慮してきたのだった。むろん、よくみたこともない。
 ちいさすぎる。
 落としたら、取り返しがつかない。
「おっかなびっくりでは、この子も落ち着かないわ」
 さしのべかけた手を、稚羽矢はひっこめた。
「・・・・・・やめておく」
「そうね。また来ましょう」
 苦笑いした狭也は、やさしく稚羽矢をうながした。



 闇の女人が子を産んだ。
 狭也は自分のことのように喜び、赤子の世話をしたがった。
 そう話すと、鳥彦は忍び笑いをした。
「狭也もすぐに母親になれそうだ」
「・・・・・・そのことで、聞きたいことがある」
「なんなりと、大王」
「子をさずかるには、どこへ行けばいい」
「どこへって。なにを聞いていたの、今まで」
 あきれた声で鳥彦はうなった。
「あれだけ丁寧に開都王が話して聞かせていただろ。うんうん頷いて、すっかり心得た風だったじゃないか」
「だいたいのところは」
 稚羽矢は欄干によりかかり、ほほに手を当てた。
「そういうことではない」
「稚羽矢でも、気負ったりするの。まったく、平気な顔をしていると思ったけど。ええとね、授かるかどうかは、地上にいるおれたちには預かり知らぬことだというのだけは確かだ。望んで叶わないことも、もちろんある」
「・・・・・・そうなのか」
 鳥彦は、返す言葉が思いつかないように、くちばしをならした。



 寝床に横たわっても眠れずに、稚羽矢は何度も寝返りをうった。
 気配に気づいたか、狭也は鼻にかかったような寝ぼけた声でどうしたの、とたずねた。
「なんでもない」
 かるく吹き出すような声がした。
「あなたも嘘をつくときがあるのね。何か心配事でもあるの? 言ってごらんなさい」
 稚羽矢は少しのためらいのあと、正直に言った。
「狭也にあげたいものがある」
 うれしげに、狭也は笑った。
「そろそろ花が咲きそろうころね。春の野原に連れて行ってくれるの?」
 月の出た晩は、灯りを消してもよくものがみえた。狭也のほほえみはやわらかく、みつめているとすべてが許され、悩みがほどけていくような気持ちになる。
「赤子を・・・・・・あなたの体にくっついて離れないような子を」
 一つ寝床で、わずかな隙間もうめるように狭也は稚羽矢の胸に顔を埋めた。
「あなたからそんな言葉を聞けるなんて」
「皆がわたしではなく、あなたをせっつくのが、なんだか辛い気がする」
 狭也は身じろぎをした。
「言祝ぎだもの。みんないろいろ心配したりしてくれるけれど。ゆっくりでもいい。あなたがそう言い出してくれるのはうれしいけれど」
 寝床をともにするようになってから、両手で数えられるほどの晩をともに過ごしてきた。すぐとなりに誰かの息づかいを聞きながら眠るのは、稚羽矢にとって不思議と落ち着くことだった。すこし手を伸ばせば、あたたかな人肌に触れられる。
「急いてはいけない?」
 稚羽矢は、どうしてこれほど胸が苦しくなるのか、いぶかりながらささやいた。
「わたしが、見たいんだ」
 満たされる。夢をみるよりも心がおどる。
 かすかな吐息をすくうように、稚羽矢は抱きしめた人に口づけをした。
 
 

※オリジナルキャラ多発しています。気分を害されたら申し訳ありません。
※原作を中傷、または冒涜する意思は全くありません。
軽く読み流して頂けると大変ありがたいです。






「父さん、大変だ」

慌てた様子で駆け寄ってきた息子を阿高は一瞥して表情を確認すると、特に大変でもないことを察して野良作業の手を休めずに返事した。

「お前は一日に何回大変なことが起きるんだ」
「本当に大変なんだって」
真広はむきになって答えた。

「さっき、勝が言ってたんだけど、母さんって昔宮に居たんだって」

阿高は手を止めて真広を見返した。興奮で頬が赤くなっている、数えで八つになった息子はどちらかと言えば苑上似だ。黒目がちな目が好奇心旺盛に動く。

「こないだ言ったろ」
「聞いてないよ」
「…ああ、あれは明里か」
年子の姉である長女の名前を阿高は呟いた。どうやら竹芝の人々も言い飽きた噂が、今度は子どもらの間で再び広まっているらしかった。別に秘密では無いことだったから説明を求められた明里にはきちんと話したのだった。
「で、本当なの」
急かすように阿高の持つ鍬を揺さぶったので阿高は少し慌てて鋭い声を出した。
「こら、触るな」
びくりとして離れた息子に、刃の尖った部分を見せて阿高は怒った。
「ふざけてると今に痛い目に合うぞ。離れてろ」
「ごめんなさい」
しゅんとして素直に謝った真広は次の瞬間にはもういつもの調子に戻っていた。本当に反省しているんだろうなと阿高は訝しんだ。二つも年上の藤太の息子である勝太と同等に遊ぼうとするので真広は怪我ばかりしていた。最も自分もこの時分に大人しかったとは言い難く、阿高は更に言い募ろうとしたが黙ることにした。

「早く教えてよ」
「本当だよ」
随分あっさり認めたので真広は拍子抜けしたようだった。「じゃあ父さんも都の人だったのか」
「俺は竹芝で育ったよ」
訳が分からないと言う顔をしたので阿高は付け加えた。
「連れて帰ってきたんだ」
真広は目を丸くして大きな声を出した。
「あ、盗んだんだ」
「教えに則っただけだよ」
平然と阿高は言い、真広は目を輝かせた。
「父さん、都に行ったんだな。どうだった」
「どうって」
阿高は思い返したが、何しろ都をきちんとは観察していないのだ。特に記憶に残っていなかった。
「母さんに聞けよ。俺より詳しいよ」
「母さんが違う人と結婚していたら俺は皇子だったのかな」
無邪気に想像して話す息子に阿高は水をさす。
「鈴が違う男と結婚していたらお前生まれてないよ」
「なんでだよう」
「面倒だから大きくなったら教えてやる」
阿高は本当に教える気がなさそうだった。真広は不服そうに頬を膨らませる。
「じゃあおじさんに聞く」
藤太は本当に教えてしまいそうだった。それも面倒だなと阿高は内心思った。
(口止めしておこう)
阿高はそう考え、ふと息子に尋ねた。
「真広は都に行きたいのか」
「うん、行ってみたい」
「皇子は大変だぞ。うんと小さい頃から難しい勉強ばかりで、お前みたいに遊んでいられない」
「げ。それは嫌だ」

むくれて真広は言い、段差に腰掛けて足をぶらぶらさせた。父親はこちらを向くことなく仕事を続けている。まだまだ甘えたい盛りの真広はこうしてたまに阿高の仕事場を訪ねては構ってもらいたがった。屋敷に戻れば兄弟のように育った藤太のとこの息子たちとじゃれあっていたから、父親と二人の会話はなかなか機会が無かったのだ。母親の苑上はこの春生まれた双子に付きっきりだった。
双子は女の子で真広から見ても非常に可愛らしい。屋敷どころか郷中がそっくりに良く笑う赤子の彼女たちに夢中で、その姉と兄である明里と真広の顔を見つけては双子は今日何した、どうしたと尋ねたがった。明里も真広もあまりにそれが続くので少し面白くなかったのだ。

父親の阿高は外で会っても双子のことを聞いたりせず、兄弟をいっさい分け隔てしないので真広は居心地が良かった。こうして父と過ごすゆっくりとした時間が好きだったのだ。
「明里来た?」
「お姉ちゃんって呼ばないとまたあいつ拗ねるぞ」
「…姉ちゃん来た?」
「来てないな。いつも来てるけど」

皆があまりに双子に構うので特に甘えん坊な姉の明里はよく拗ねていた。それで明里も近頃よく父親の元を訪れていたのだ。父親を独り占めできることに密かに真広は喜んだ。
「父さん、コゲ見せてよ」
よく鍛錬されている阿高の馬は真広の憧れだった。二十歳になったら必ずあんな馬を貰うと意気込んでいる。
「これそこまで運ぶの手伝うんだったらいいよ」
「やったあ」
飛び上がって真広が集まった枯草を運び始めた。阿高も思わず目を見張るほどの勢いで全て運んでしまってから、真広は父親にねだった。
「父さん、肩車」
「重くなったから嫌だ」
真広が地団駄を踏む。
「こないだ明里にはしてたじゃないかあ」
「仕方ないな」

腰をいわさないだろうなと呟きながら真広を肩に乗せると、はしゃぐ息子を宥めて歩き出した。ずしりと重くなった息子の成長を感じる。
「父さんは双子好き?」
阿高は拗ねたような声につい笑ってしまう。
「明里もそんなこと聞いてたな。お前ら揃って拗ねているのか」
「別にいー」
「覚えてないだろうけどお前らも赤ん坊の頃はああしてちやほやされてたんだぞ」
「ええー」
阿高の髪をいじくりながら信じられないというように真広は言った。
「母さんは双子の方が好きだよ、きっと。ずっと付きっきりだもの」
「乳飲み子は母親と離れてはいけないんだよ」
「そーだけどさあー」

屋敷に荷物を置く為にそのまま一本道を歩いていると、見覚えのある人影がぽつんと見えた。阿高は目を凝らすと、それが嫁だと気付く。同時に彼女もこちらに気付いたようだった。
「真広、まあ、あなたまた父さんのところに居たのね」
苑上は腰に手をあてた。
「もう、母さん探してしまったわ。夕暮れ近くなのに戻らないんだもの。勝太だけ帰ってくるし」
むくれたように黙る真広に苑上は首を傾げる。
「どうしたの」
「拗ねてるだけだよ。明里といい、こいつといい。お前が双子ばかり好きなんだと思い込んでる」
「まあ」
苑上は笑った。
「母さんも、母さんばかりあなたたちが好きなんだと思っていたのよ。父さんのところばかり行って。面白くないわ」
「母さんが双子ばかり構うからじゃないか」
「そうね。まだ乳離れしないから、もう少しね」
ゆっくり苑上は言って微笑んだ。
「おいで。今日はよく晴れたから夕日がきっと綺麗だわ。一緒に見ましょう」
拗ねて返事しない真広の尻を、阿高ははたいた。
「ほら、コゲは今度見せてやるから」
「分かった、行くよ」
するすると阿高の肩から器用に降りながら真広は言い、差し伸べられた苑上の手を嬉しそうに掴んだ。
「明里は?」
「お姉ちゃん」
やんわり正して苑上は言った。
「屋敷に戻っているわ」
「呼んできてあげる」
真広はせっかく繋いだばかりの手を離してしまうと駆け出して行ってしまった。
その様子を苑上は目を細めて眺めると、息をついた。
「真広は本当に優しい子だわ」
苑上は続けた。
「駄目ね、私は。上の子にさみしい思いをさせて」
「あんな事言いながらあいつらこそ双子に付きっきりだろう」
阿高が思わず吹きだしながら言った。目を皿のようにして小さい妹たちを見つめている二人の姿が阿高は大変お気に入りだったのだ。
「あいつらも姉弟と言うよりは双子みたいに育ったから、妹が出来て本当は一番喜んでいるよ」

苑上は阿高に寄り添って暫く息子が走っていった方向を見つめてから口を開いた。

「明里と真広のことが本当に愛おしくて仕方ないから、また子どもが欲しくなったのだといつか分かってくれるかしら」
阿高は少し笑った。
「あいつらが親になったときに分かるんじゃないか」
「まだまだ先ね」
「どうだか。あっという間かも」
阿高が意地悪めいて言ったので苑上は軽く睨んだ。夫はおかしそうに笑いを返す。ふと苑上は言った。
「あなたとの子どもがこんなに可愛いだなんて。大発見だったわ」
「そう?」
「阿高の子どもだから欲しいのよ」
「…うん」
阿高はいつまでも気持ちを素直に言い表してくれる苑上を本当に愛おしいと思った。いつか穏やかな家族愛に変わると思った気持ちは
なかなかそうはならない。
くすくすと笑って苑上は阿高を見上げた。
「双子はあなたにそっくりね。きっととびきり美人になるわ」
阿高は横目で苑上を見やる。少女めいた顔と言われるのはあまり嬉しくなかった。
「祭では一番人気かもしれないですね。婿選びにはきっと困らないわ」
思わず阿高が口を挟んだ。
「まだ先だよ」
「それはどうでしょう」
阿高が小突いてきて苑上は大げさに痛がってみせた。



「明里、ここに居た」
息を弾ませて部屋に飛び込んできた真広を明里は一瞥してふいと顔を背けてみせた。
むっとして真広は再び呼びかける。
「明里ってば」
それでも返事をせずに赤子を抱っこしている姉を、真広は渋々呼び改めた。
「姉ちゃん」
「真広ったら、どうせ父さんのとこにでも行ってたんでしょう。甘えんぼ」
明里がこちらを振り向いて言った。色素の薄い髪が肩までかかっている。お姉さんらしく見えるために伸ばすのだと言っていたが、拗ねた顔はとても年上に見えなかった。
「どっちが。明里もよく来るって父さん言ってたもんね」
「うるさいなあ真広は」
唇をとがらせて明里は言った。
「全然お姉ちゃんって呼んでくれないし」
「俺のほうがお兄ちゃんに見えるってよく言われるよ。明里はどこか抜けているもの」
姉はますます機嫌を悪くした。
「もういい。この子たちには絶対お姉ちゃんって呼んでもらうもん」
まだ意味の成さない単語しか言えない双子に向かって明里は微笑んで見せた。
「勝は?」
いつも一緒に居る藤太の長男が見当たらず、真広は尋ねた。「先帰っただろ?」
明里が黙りこくったので、真広は呆れて苑上がよくやるように腰に手を当てた。
「また喧嘩したんだ」
「勝ちゃんが悪いんだもの」
曖昧に言葉を濁して明里が言い、真広は責めるような目線を送った。
「勝が悪いとこ見たことないけど。どうせ明里が悪いよ」
「…勝ちゃん、怒ってるかな?」
しょんぼりした様子で言うので、真広はやれやれと息をついた。
「後で一緒に謝りにいこうよ。それよりさ、母さんが夕焼け見に行こうって」
「母さんが?」
目を輝かせて明里が顔を上げた。うとうとしかけていた赤子が薄目を開けて、それからまた目を閉じる。
明里が気付いて肩をすくめた。
「でもこの子たちは?」
「叔母さん呼びに行って来るよ」
真広は起こさないようにそっと扉を開けた。



丘の上へ急ぎながら真広は後ろを振り向く。「遅いよ」「ずっと正座していたから足が痺れるんだもの」
確かに足元がおぼつかない明里を見やって、真広は引き返した。
「しょうがないな」
手を引っ張ってやりながら真広はふと言った。
「明里、俺に何も言わなかっただろ」
明里がきょとんとしたので真広は付け加えた。
「母さんのことだよ」
明里は肩をすくめた。
「聞いたの」
「なんで言わなかったんだよー」
拗ねる弟を見やって、明里は答えた。
「だって言ったらあんた都に行きたいと言い出しそうだもの」
「明里は行きたくないの?」
「行きたくないよ」
明里は不貞腐れたように言ったが、そのまま夕焼けを振り返った。明里の白い片頬に夕焼けが映る。姉の肌の白さは苑上似だったが、それを苑上に言ってもいつも何も言わず微笑むばかりだった。そんなことを思い返していると明里は大きく息を吐いた。

「私は竹芝が好きなの」

はっきりとそう言って真広に
向き直る。その表情は真剣そのもので、思わず真広は黙りこんだ。
「父さんも母さんも居て、自然があって、馬たちも、夕焼けも、川も、風もみんな好き。真広はそう思わないの?」
挑むように言う姉の真剣さに真広はたじろいだ。
「思うけど…」
「…ここから出ていきたいなんて
、今までもこれからも絶対思わない」
それから明里は言葉にできないもどかしさでだろうか、表情を少し歪めた。
「父さんもここを出て、戻ってきたのよ。母さんも都で育ったのに、ここに来たいと思ったの。それだけいいところってことでしょう?」
「出てみないと分からないよ、そんなこと」
真広はそれから姉に安心させるように微笑んで見せると、手を握った。
「でも皆ここが好きだよ。勝だってなんだかんだ言ってここから離れないと思うな。馬が好きだもの」
「本当に?」
表情を明るくした明里に笑って真広はからかった。
「分かった。また勝が都に行ってみたいって言ったんだろう。それで明里が怒ったんだ」
「知らない」
今度は顔を赤くして明里が言った。
「俺まで都に行きたいって言い出せば勝は絶対行くもんな」
「知らないってば」幼い子がそうするように明里は頬を膨らませた。

そのとき二人を大きな影が覆った。見上げると夕焼けを背にして父親が立っていて、姉弟は手を取り合ったまま揃って目を丸くする。
父親はいつもの愛想無しで二人を見下ろしていた。
「遅い」
「だって」
明里が唇を尖らせるのを見て素早く真広が阿高に言った。

「明里は双子の世話してたんだよ」

阿高が少しの間のあと、拗ねた明里に微笑んだらしい。逆光でよく見えなかったが、それでも父親が表情を和らげたのは充分伝わった。
「そうか。えらかったな」
顔を押し付けるようにしてしがみついてきた明里がそのままおんぶをねだって、阿高は苦笑しながら背を差し出した。

機嫌を直した明里が嬉しそうに笑うのを少しほっとして見ていると、真広の頭に父親の大きな手が下りてくる。そのままぐしゃぐしゃと撫でられた。
真広が阿高を見上げると父親は目だけで笑いかけてみせた。何も言わなかったがそれが父親の「褒め言葉」であることを真広は随分前から理解していたので、嬉しくなって表情を緩めた。僅かに感じていた寂しさが綺麗になくなってしまったのだった。
「母さんは?」
「すぐそこの丘」
阿高が顎でその方向をしめした。
「早くいかないと陽が落ちちゃうよ」
真広はそう言うと駆け出してしまった。阿高は眩しい夕焼けに目を細めると、背中で早く早くと急かす娘を背負い直して足取りを早めた。

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プロフィール

りえ

Author:りえ
古代日本好き。雑食系で、なんにでも興味を持つ傾向あり。

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